このところ毎日のように雨が降り続き、梅雨も本番といったところでしょうか。おかげで、早朝散歩も取りやめになり、楽しみにしていたトレッキングも未だ実行できないままです。

こんなときは、終日机について書き物をするにかぎる、と思っています。

懸案の仕事がいくつもあり、この長雨を幸いと思って、それらに取り組むことにしました。

なかでも、「高専50年」に関する論文の第3稿では、結構大がかりなアプローチになり始めています。

高専という小さな教育機関に関することですが、それでも50年となると、いろいろと重要な問題があり、これに関連して「真理は細部に宿る」という発見にも心を躍らせています。

それから、自分が36年間勤めさせていただいた職場であり、そこでの困難とその克服がどのようになされたのか、今からでないと振り返られないような問題もあり、その謎解きにも心を揺らしています。

これを時代的考察とでもいうのでしょうか、それに、今こうして挑戦できることを大変ありがたく思っています。

この考察において、まず、明らかになったことは、その前半の30年と後半の20年が大きく異なっていたことでした。

一見すると、何も大きな変化はなかったように思われがちですが、長い時間経過の軸を通して見ると、そこには重要でかつ本質的な変化があったように思います。

それらを概括すると、前半では、構造的問題の形成と深化があり、それを何とか解決しようとする試みが生まれます。

しかし、必死の努力にもかかわらず、その根本的解決には至らず、それは次の20年に持ちこされます。

問題が構造的で社会的広がりを持つ場合には、その解決にも労力と時間が必要になります。

しかも、色々な角度からの解決のアプローチが必要になり、それらの実践が成功的に積み重なっていくことによって、徐々に発展していきます。

困難な問題をいくつも含んでいても、そこに実践的な活路が切り拓かれ、やがて、それが大きな道になって、そこを多くのみなさんが普通に通っていくようになります。

歴史における進歩とは、このような事例の中にあるのですね。

散歩に行けなかったので、ついつい、いろいろなことを考えてしまいました。

この梅雨、早く明けるとよいですね。

つづく

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