「おう、周布か、元気でやっていたか?」

「何を、いっちょるか!お主に、心配されることはない」

こういい合いながら、互いの表情を見つめ合って、松陰と周布は安心した。幼いころから明倫館で机を並べて育った仲であった。

周布が、野山獄の松陰を訪ねてきたのはある冬の夜であった。

「何か、困ったことはないか? 読書家のお主がますます書物好きになったようだのぉー」

「家族が書物の手配を懸命にしてくれている、助かっているよ。このように腰を据えて書物を読めるのだから、ありがたいことだ!」

「そうか、よかったのー。それにしてもお主、大それたことをしでかしたのぉー。おかげで、藩のなかは、お盆をひっくり返したような大騒ぎじゃった」

「もうしわけない。お主にも、えらい迷惑をかけたのぉー」

「それは、その通りじゃ。藩のお偉方のなかには、お主を死罪にせよ、と息まく連中がわんさとおったぞー」

「そうであろうのぉー、お前も大変じゃったのぉー」

「わしのことは、どうでもよい。お主を死罪にしなかったのは敬親公じゃよ。いつもは、『そうせい』で済ますのに、今回ばかりは、最後まで、『そうせい』とはいわなかったんじゃー」

「あの『そうせい公』が、・・・・・」

「そうじゃ、『そうせい公』、おっと、そうではなく、敬親公は、お主のことをたいそう心配しておられ、最後まで案じておられた

「ありがたいのぉー、そうだったのか」

松陰の目がしらには涙が滲んでいた。

「ところで、お主は、あの黒船でペリーに会ったそうじゃが、それは本当か? いったい、どんな男じゃったか?」

「なかなか堂々とした軍人で、さすがアメリカ大統領の使いだけあったのー。あれだと、幕府の頼りなげな役人どもたじたじになったであろうよ!」

「そうか、そのペリーに、密航させろと、どうやって頼んだのか?」

「最初に手紙を書いて渡した。彼は、それをしっかり読んでいたよ。だから会った時には、わしらの願いをよく理解していた。

それで、とにかく頼み込む、それしかなかったよ。当たって砕けろ、じゃよ!」

「よくもまぁー、無茶なことをしたもんだよ! もっとも、それがお主らしいといえば、そうなんだが・・・・。それで、そのペリーは、お前の申し出に何と答えたのか?」

「幕府と交渉している最中だから、無理だよいわれたよ。それは、そうだよ。わしがペリーであっても断るよ」

「そうか、お主も納得していたのか。それでは仕方がないのぉー。ほかに、ペリーとは何を話したのか?」

「やけに、ペリーのことに拘るのぉー。何か、あるのか?」

周布は、こう聞かれて一瞬顔を曇らせたが、すぐにとりなして続けた。

「何もない、お主がどう当たって砕けたかを知りたいんじゃー」

「ペリーは、わしがどうしてアメリカに行きたいのか、その理由を根ほり葉ほり聞いてきた。

未開の地の若者が、なぜ、死罪も覚悟してまで密航したいのかを、よく理解できなたっかようだったね」

「それは、そうじゃろのぉー。『攘夷、攘夷』といって、外国を敵だと思っている侍が、密航させろいってきたのだから、面食らうのは当たり前だ! それでお前は何と答えたのか?」

「敵であろうとなかろうと、進んだものを取り入れる、これが一番大切なことだといったよ。それを成し遂げないと、わが国を守れない、こうもいった」

「それは、お主の持論だ! 死を覚悟していうのだから、ペリーもさぞかし、驚いたであろう」

「そのうち、すっかり話しこんで、最後には、赤い色の酒がでたよ!」

「赤い色の酒、それはどういう酒じゃ? 美味かったか?」

「たしか、『ワイン』とかという酒じゃった。金子は、すっかり気に入って、かなり飲んでいたよ」

「お主は、どうじゃった?」

「わしか? もちろん美味かった。でも、酒はあまり飲めんたちじゃから・・・」

酒好きの周布にとっては、口から生唾がでてくるような話であった。

「そうか、わしも飲みたかったのぉー。ところで、松陰、お主はのぉー、明日、ここから出て、別の所に移ることになるぞ。よいな・・・」

「ちょっと待てよ、どこに移るんじゃー?」

「だまって、わしのいうことを聞いとけよ。それに金子のいたところもみたいじゃろー」

金子のところ、といわれて、松陰の心は動いた。

「ーーー 周布よ、お主は何のために来たのか?」

周布が立ち去った後に、松陰は想いを巡らし、周布がなぜ来たのかを夜通し、考え続けていた。

夜空には、明るい月が煌々と輝いていた。

つづく

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