今朝は、暗いうちからマイクロバブル風呂に入り、その後出張の準備を済ませて6時30分に家を出ました。
約20分で杵築駅に到着、7時2分発の特急ソニック2号に乗り込みました。現在は、私の故郷である柳ヶ浦の駅を過ぎたところです。
子どもの頃は、ここまで蒸気機関車で来て、それからバスで宇佐市四日市まで帰っていたことを思い出します。
車窓からの田んぼと山なみの光景は、その頃と少しも変わっていません。右手には、八面山の雄姿が見えています。
さて、本日は学会参加のために三重県名張市まで行く予定です。
12時過ぎまでに、その目的地名張まで到着するにはどうすればよいか、それをいろいろ検討したところ、大分空港からの飛行機の始発に乗っても間に合わないことが判明しました。
せっかくの大分空港を活かすことができずに、やむなくJRルートで行くことにしました。
これから、特急で小倉までいき、それから新幹線に乗り換えて新大阪へ、それから近鉄に乗り換え名張市へ向かおうというルートですが、無事、予定通り到着できるとよいなと思っています。
さて、列車は間もなく中津、ここは福沢諭吉が生誕したところです。子どもの頃に何度か諭吉が勉強したといわれる薄暗い家を見学しました。よく、こんな暗い所で勉強したなと思っていました。
ここから、山国川沿いを西に向かうと耶馬渓があり、今回の豪雨で大きな被害を受けました。また、この耶馬渓には、菊池寛の『恩讐の彼方に』で有名な「青の洞門」があります。
ここにも何度も訪れています。その洞門の壁には鑿で削った跡があり、感慨深く手で触ったことを思い出します。
「よく、鑿で掘ったものだ」
吃驚、感嘆していました。
杵築から約1時間で小倉に到着、すぐに新幹線のぞみ17号に乗り継ぎました。さっそく、朝昼兼用の弁当として名物の東築軒の「かしわ飯弁当」を買いました。
久しぶりの味です。かしわ、たまご、海苔が3色に敷き詰められ、これに、ショウガと奈良漬、塩コンブ、甘いグリーン豆など、これらも昔のままでした。
これらを美味しくいただきながら久しぶりの新幹線車中で寛ぎました。小倉からの乗車で次の停車は広島駅と聞いて、これは途中を省けて、なんとなくさわやかな気持ちになりました。
いつもは、徳山に停まる列車を選ぶ必要があったからで、いつもよく待ち合わせがありました。
それからは、例によって学会発表のスライドづくりに専念し、これまた集中した時間を過ごすことができました。
岡山を過ぎてからは、車中も込み合ってきて、都会に近づいていることを感じました。
さて、新幹線の最終駅は新大阪でした。ここから、どうやって名張までいくかが問題となりました。JRで大阪まで行って外回りの環状線で鶴橋までいき、そこから特急に乗って名張に行くのがよいと判断し、それが正解でした。
特急では、再度発表用のスライドを見直し、講演の準備を済ませました。
学会は、日本高専学会年会、会場は、近頃名張市に移転してきた近畿大学高専キャンパスでした。
私は、「高専50年から何を学ぶか」と題して講演発表をさせていただきました。この2,3カ月、この問題について研究を重ねてきましたので、その成果を発表することができました。
つづく
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