「屋外にリビングがある家」は,夏が過ぎて秋の気配が漂ってきました.夜も朝も,虫と小鳥の声でいっぱいです.

このところ,朝のNHKラジオ体操を行うことが日課になっています.いざ体操をすると,その日の体調を判断できるようになりました.

また,体操をスムースにできるかどうか,これも体力の維持に関係していることも理解できるようになりました.

ここ,向陽台に来て6カ月目に入り,地元の事情が理解できるようになり,心身もなじんできたように思われます.

新しいことといえば,自分で実験ができるようになりました.これは,これまでとは大違いで,その指示を行い,結果を待つというやり方とはかなり違います.

自分で実験をやりたくても,その時間がなく,思うような実験ができなかったことと,それが自ら可能になることとには小さくない違いがあります.

この「ちがいがわかる」ことが重要なのですが,それができるようになることが念願のひとつでした.

なぜなら,私たちにとっての実験は,糸口を見出す,あるいは突破口を広げるとでもいいましょうか,何かを成し遂げるための最初の構築に匹敵するものになりますので,それが究明の最初の階段に相当するからです.

イギリスの生化学者にピーター・ミッチェルという方がおられました.当時としては,あまりにも過激な学説を唱えたために,最後は大学を追われてしまいます.

そして,かれが自分で立ち上げたのがグリーンハウスと呼ばれる研究所でした.ここでかれは,わずかな装置(pHメーター1台)で自ら実験を開始します.

その実験にはさまざまな思いと裏付けが反映されていたのだと思います.そして,その行為と結果に,そこはかとない喜びを感じていたはずです.

なぜなら,多くの場合,実験を行うことは,自ら組み立てた「仮説」を実証することであり,「そうか,やはりそうであったか」と思うことであり,「しかし,なぜ,そうなるのであろうか?」と次の問題意識を持つようになることなのです.

後者においては,それが「普遍的な問題(いろいろな問題に関係する広く大きなテーマに関係する)」に波及することもありますので,その場合は重要な実験を行い,可能性を生みだしたといえるようになります.

さて,最初の実験はどうであったか,まずはいろいろと条件を変えてやろうと考えていましたが,それは取りやめました.

なぜなら,ここで登場してくるのが,「鋭く,大きな直観」かどうかという問題であり,本当に「鋭く大きな」かどうかは別にして,直観的に,「これはよい結果が出そうだ!」と,その結果を観て判断させていただきました.

これが,だれも行ったことがないことであれば学問的な価値があり,さらに少なくない人々に役立つことであれば,社会経済的に価値があることに通じていきます.

その意味で,小さな実験といえども,その結果しだいでは,それに留まらない深さを有する場合もありうるのです.

そして,その結果が基礎となり,そこから物事が新たに構築できるようになると,しだいに明るくなっていきます.

このグリーン(サン)ハウスともうひとつの研究拠点(大型装置がある)が共に動き始め,連動するようになると,「かなりの仕事ができるようになるかもしれない」,このように思い始めています.

今週から,ここでの実験テーマを徐々に増やしていく予定です.

「住めば都」の諺がありますが,これを例えると,「住めばグリーン(サン)ハウス」ですね.

半年目を迎え,夏の終わりのちょっとした出来事の始まりでした.

つづく

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手前の左の部分が実験室兼研修室,筆者撮影.