萩から下関までは約100km、先ほど休憩した土井ケ浜は、その中間点あたりであった。夜も更けて星空にオリオン座がきらめいていた。

二人は無言のまま足を速めていた。夜露が足元を濡らした。

「ーーー ペリーの国、アメリカに行ける。まるで夢のような話だ!」

寅次郎は興奮していた。汗がいくつも額から流れ出ていた。

「高杉君、ちょっと待ってくれんかね。わらじがすこしゆるんできたようじゃ!」

前を歩く晋作が立ち止った。

「先生、満天の星ですよ。この空を一心に眺めるていると、人間はちっぽけだということがよくわかりますね」

「そうじゃよ、地球の大きさを考えると、わしらは小さい、それにほんのちょっとしか歩いちょらん。高杉君、この宇宙は、大きいのぉー」

わらじを結び直した寅次郎は歩き出す準備を整えた。めざすは彦島沖、身も心も引き締まっていた。

「高杉君、そろそろ出発しようか。急ぎましょう!」

「先生、のどは乾いちょらんですか?」

晋作は松陰の前に水筒を差し出した。

「さっき飲んだばかりじゃ、乾いちょらん!」

それではと、先ほど差し出した水筒の水を、ごくごくと美味しそうに飲みほした。

「先生、少し早く進んでいます。ここで休憩しましょう!」

「ーーー 休憩? さっき休んだばかりじゃ、これでは、朝までに彦島沖には到着できんぞ!」

こう思いながら、寅次郎は、その思いを押し殺しながらいった。

「そうじゃのぉー、こんなにきれいな星空を見たのは久しぶりじゃ、高杉君、この星空の下で、君と一晩語り合えたら、どんなによいかのぉー」

「ほんとですか、わしも、そう思っていたのですよ!」

「そうじゃのぉー、高杉君とは、まず、日本国をどう守るか、そこから話をせにゃならんのぉー」

松陰には、生まれつきの楽天性があった。それも人並み外れた楽天性のために、それが自らの人生を左右することになってしまったのであった。

このときも、「このままでは遅れてしまうかもしれない」という思いが過りながらも、晋作との会話を優先させた。

これは、急ぎの原稿の締め切りが過ぎても、ブログの記事だけは遅れないように書くという、誰かの心情ともよく似ていた。

晋作は、寅次郎の返事でますます嬉しくなった。

「先生、それは、ぜひとも、ゆっくり拝聴したいのですが、今日は無理です。またの機会にしましょう!」

晋作は、松陰の気配りに感激していた。

「そうじゃのぉー、またゆっくりやりたいのぉー」

「その時はよろしくお願いします。日本だけじゃなく、アメリカのこともよろしゅうお願いいたします」

こういっているうちに、暗闇の向こうから馬の蹄の音が聞こえてきた。

「晋作さん、待ち合わせの土井ケ浜に着いたら、晋作さんらがいないので焦りました。きっと先にいったんだろうと思い、急いでかけてきました」

「そうか、すまんのぉー、先生の足が少し速すぎたんじゃ!」

馬に乗ってきたのは、伊藤俊介であった。

「高杉さん、会えてほっとしました。先生、御無沙汰をしています。この度は、・・・・・」

俊介は、松陰に会えて感涙し、身を震わせていた。

「先生、早く乗ってください。急ぎましょう、ここからは、先生一人で行っていただきます」

「ーーー そうか、高杉君は、しっかり考えて段取りをしてくれていたのか、さすがじゃのぉー」

寅次郎は、俊介が乗ってきた馬にすぐに飛び乗った。

「先生、彦島が見える浜で、小船が先生を待っていますので、それに乗ってください。

間違っても左に折れて下関まで行ってはいけませんよ。ここからは一本道、彦島が見える浜まで、一っ走りです。夜明け前には着けます」

「ありがとう、高杉君、俊介君、ここでお別れじゃのぉー。君たちも世界に目を向け、飛び出していく日がきっときますよ」

こういわれて二人の胸は、「きゅー」と締めつけられた。

この時の松陰の言葉が、後の晋作の上海行き、俊介の英国行きに大きな影響を与えたのであった。

「そうです。先生がアメリカから帰ってくるまでの、しばしのお別れです。先生、どうかご無事で・・・・」

後は、ことばが続かなかった。寅次郎も胸から込み上げるものを感じていた。

「晋作君、俊介君、この星空のように、この星空のきらめきの・・・・」

寅次郎も、それ以上のことが言えずに胸がつかえた。

「どうか、ご無事で!」

晋作と俊介は、松陰と固く手を握りあって別れを惜しんだ。

そして寅次郎は、星空を飛ぶ天馬のように走り去った。天馬空を行く、であった。

そこに残っていたのは、満天の星空と虫の音のみであった。

「俊介、帰ろうか」

ぽつりと晋作がつぶやいた。

つづく

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コスモス、筆者撮影、2012年9月12日。