3日間の出張から帰ると、ここ向陽台はすっかり秋になっていました。

まず、夜になると涼しすぎて、窓を開けたままで寝ることができません。それから、朝の陽射しが暑くなくなり、ここちよいものに変わってきました。

スーパーでは、梨や栗が出始めました。ぶどうは、そろそろ終わりでしょうか、安売りが始まりました。新ショウガやワケギの新芽つき苗も売り出されていました。

そして、久しぶりに安岐町の港のセリ市場に行きました。今朝は大量でたくさんの魚が並んでいてにぎやかでした。


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「ーーー 今日は、姉が刺身を食べたいといっていたので、よい魚を選ぼう!」

この発砲スチロールの箱ごとにセリが行われます。今はセリが始まる前の品定めをみなさんがしているところです。

この水揚げした魚の豊富さが豊後灘の海の豊かさが現れています。

セリは、セリ主の元気な掛け声に応じてセリ値を競い合うことで次々に魚がセリ落とされていきます。


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こうしてセリ落とされた魚を、今度は私たちが購入するという仕組みになっています。

目ざとい人は、金額の書かれたセリ札をすぐに手に取って魚を確保します。あるいは、事前に確保したい魚を決めていて、それをセリ落としてもらっているようです。

私の方は、いたって鷹揚で、セリ落とされた魚が隅に集めて並べられた後に、何を選ぼうかと物色します。

もっとも何度も来て見ているうちに、この魚がよい、安い、がよく理解できるようになりましたので、時間をかけずに決められるようになりました。

そこで、本日、手に入れた魚は、次のようなものでした。

①太刀魚、4匹。「銀たち」と呼ばれる美味しいさかなで、刺身と焼き魚が美味しい。

②レンチョウ、3枚。ムニエルがうまい。

③鯵、26匹。やや大きな鯵を買おうとしたのですが、隣のおじさんが、それを選んで、自分が確保していた箱の魚が残りましたので、私の方は、それを選びました。500円ちょっとの値段でした。

この3つで、2300円という信じられない安さで、なんとなく得した気分になりました。帰ってから、それらの魚を並べて写真を撮りました。


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こうして並べてみると豪華ですね。これで1週間分はあるでしょう。

このような魚が誰でも普通に手に入れることができるのが、この地、国東なのです。

このような現実に接し、そして実際の生活を行うことで、昔、ブームになったことがある、「豊かさとは何か」を再考する必要があるように思うようになりました。

これは単なる新鮮な魚が安く手に入るという問題ではなく、これらを通じて生活することの意味、そして価値を考え直すということに結びつく問題だといえます。

片方で、インターネットを通じて、全国の至るところから、安くてよいものを購入することも可能です。

併せて、その新しい生活のあり方が問われているような気がします。

国東の秋を迎えて、このような生活の豊かさについて考え始めました。

今夜は、銀たちの刺身と焼き魚が食卓をにぎわすことでしょう。

つづく