北の大地から帰ってきた翌日に、この夏に執筆した論文の雑誌が届いていました。

A5版の小冊子ですが、著者は私を入れて3人、2カ月に1回、細切れにして逐次出版するのがこの雑誌の特徴のようです。

私の題目は、「高専50年から何を学び、何を展望するか(下)」でした。すでに、その(上)が出されていましたので、その続編ということになります。

しかし、前回が11ページに対し、今回は46ページにも及び、合計で3回シリーズの予定を、2回にして一挙に掲載していただきました。

そのご厚意に改めて感謝申し上げます。

合計で57ページ、約5万字を超える長編論文となりました。

なにせ、高専も50年ですから、それだけ多様な内容が含まれていたのでしょうか。全体の論旨は次のようなものでした。

①高専50年問題の解明。

②最初の30年間に根強い構造的問題が形成された。

③この問題解決のために艱難辛苦の「地を這うような努力」が必要であった。

④次の20年で、その問題が徐々に改善され始め、同時に高専教育が発展した。

⑤高専50年の教訓を明らかにし、次の50年に向けての提言を示した。

狭い高専社会の出来事に関することですが、私なりに、その36年を振り返ることができました。

ところで、論文には、それを総括してまとめとする、すなわち「おわり」とする場合と、これから始まって展開を告げる場合の二通りがあります。

どうやら、今回の論文は、その後者に相当するようです。

肥沃な土地に種を蒔いたといってもよいのでしょうか。

これから、その種を育てる作業に入りたいと思っていたら、ひょんなやり取りから高専専攻科教育に関する論文を執筆することになり、先日、その投稿を済ませたところです。

また、来月末には、本論文の主題に関する論文投稿の推薦を受けましたので、より深い考察を試みる予定です。

さて、上記の長編論文は、3月末に奈良で行った講演が契機となり、その執筆依頼を受けることになりました。

当初は10ページ程度の予定が、書いて見ると60ページ弱になってしまいました。この執筆中に同じ主題の学会発表の申し込みをしましたので、その発表時に質問を受け、それが原稿依頼を受けることに結びつきました。

そして、今度は、その学会発表を受けて、その論文化の投稿推薦を受けたというわけですから、これらには何かの因果関係があるのでしょうね。

ここで、河島英五さんの歌のフレーズが浮かんできました。

「目立たぬように、はしゃがぬように、似合わぬことは無理をせず・・・・・」

このように、かっこよく、自然に執筆活動ができるとよいのですが、多少は無理をしないと書けないのが論文です。

ーーー 論文書きは、「似合わぬことではない」のかもしれない。

この国東に来て、このところ落ち着いて仕事や沈思黙考ができるようになり、それが、一連の論文化の展開に自然に結びついているようです。

この流れが川のように広がって行けば、この地国東においても「新たな物語」がひとつできていくかもしれませんね。

つづく

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国東市武蔵町の楠木の大木、筆者撮影。