アイデア対決ロボットコンテストの創始者である森政弘先生は、その名
著「『非まじめ』のすすめ」のなかで、「観る」ことの大切さを強調されて
います。この場合、「観る」と「見る」では大きな違いがあり、前者では
「本質」を観るという意味があるそうです。因みに「みる」という漢字用語
は13種類もあるそうで、いろいろな用語による「見方」がありそうです。
また、長野県阿智村にある「信濃比叡」の法主が書かれた色紙を拝見した
ことがあります。そこには「観」の一字がみごとに書かれていましたが、そ
の説明文には、その字に「考える」という意味があることも示されていまし
た。
どうやら、「観る」には、「本質を考え、観る」という意味がありそうで
す。こうなると、「光マイクロバブルを『観る』会」も、その辺にありが
ちな「大衆イベント」の次元には留まらない、ある意味において「特別に
重要な」企画となる可能性がありました。
その「特別に重要な何か」があるとすれば、それは何か。この視点か
ら、その探求を試みることにしましょう。
まず、その第1は、本当に「マイクロバブルが光るのか」という問題で
す。学者のなかには、自分で確かめないと信用しないという方が少なから
ずいます。
この視点は、ある意味で学者に必要なことですが、それが成り立つの
は、自らが、それを検証する意思を持ち、その検証を実践する可能性を有
する方に限られます。
これとは別に、その可能性すら認めない学者がいるとすれば、その方に
は、マイクロバブルが「光る、光らない」を語る資格はありません。
なぜなら、「光る、光らない」は、だれでも検証できることであり、こ
れまでにも、私は学生と一緒に、その検証を楽しんできたからです。
その結果は、二人に一人が、光っていることを確認できました。しか
し、暗闇でわずかに光るものを観ることを、通常は誰も行おうとしません
ので、観えるようになるまで、少し時間がかかることもありました。
ところが、この温泉水では、マイクロバブルが光ることをすぐに観察す
ることができました。それは、温泉水中のマイクロバブルがより光りやす
い性質を有していたからで、水道水マイクロバブルの二人に一人の観える
確率を超える可能性が予想されたからでした。
結果は、その予想の通りになりました。そして、それは、「マイクロバ
ブルが光ることはありえない」、「信じられない」という学者の見解が、
大衆的に一挙に葬られた瞬間でもありました。
いかなる学説も、社会の現実のなかで生きてこそ本物であり、そうでな
いものは線香花火のように、すぐに消えてなくなる運命にあることが「自
然の摂理」であるように思いました。
左は、マイクロバブルが光っている写真です。この光マイクロバブルは比較的大きな光を発している事例といえます。撮影は、㈱ナノプラネット研究所の大成博音氏によって行われたものです。
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