本日は、朝から家で仕事をしていたために、家を出るのが遅くなりました。出ると

ともに、今日は遅いから101段の階段を上るを止めようかと、いつもの弱気が出てき

ました。しかし、不思議なもので、一端緑地公園に入ると、今度は逆で、それを前に

して逃亡は考えられなくなり、本日も101段を上ってきました。やはり、目の前に目標

があると人間は違うのですね。こころなしか、この101段を上るのが楽になってきて

いるようです。

 さて、待望の「マイクロバブル人」の「Kシリーズ」も3人目の登場となりました。そ

のK3さんは高専の先生です。高専とは、「高等専門学校」の略称ですが、いつのま

にかこの略称のほうが社会的には通用するようになりました。なぜなら、正規の学

校名をいえるのは、いまだに高専関係者に限られていて、よく間違えてしまうことに

出会います。その意味で、社会的認知度が深くない教育機関といえます。

 高専は、1960年代の高度成長時代に備えて設置された高等教育機関ですが、そ

の目的は、工業系の労働者の不足に即応するためでした。そのため、中学卒業生

を受け入れて5年一貫の教育システムを採用しました。当時の目標には、「大学に

準ずる」があり、ほぼ大学生と同じ内容を詰め込んで2年早く卒業させて産業界に

送り込むという「荒行」がなされましたので、それになじまない高専生も出てきまし

た。

 ところが、時代がすすむにつれて、その矛盾が徐々に改善され、その欠点よりも

利点が目立つようになりました。いわゆる、熟成効果のようなものが発揮されるよ

うになったのです。

 その第1は、15歳という早期からの教育を行うことにあります。時代が進むという

ことは、それにふさわしい能力を持った若者が次々に育つということを意味します。

今、世の中で活躍している方のほとんどは、若い時から鍛えられ、その熟練を通し

て花開かせています。野球では、野茂やイチローがそうです。

 野茂は、近鉄時代に肩を壊し、大リーグに行く彼を、誰もが「いっても通用せず

に、すぐに帰ってくるだろう」と予想していました。ところが、その予想を完全に破り、

大活躍をし始めました。

 私は、1995年にロスアンジェルスにある南カリフォルニア大学に留学していました

が、そのときに野茂が活躍していて、その雄姿にどんなに励まされたでしょうか。ま

さに、日本人の心に沁み入る活躍をされていました。これこそ開拓者であり、時の

クリントン大統領に、「野茂は最高の日本商品だ」といわしめたのです。

 いま大活躍のイチローも、幼いころから鍛えられています。スケートの浅田真央、

サッカーの著名な選手も、みなそうです。

 つまり、若い時から、専門的な技術を学び、頭を鍛える、これが非常に重要な時

代になってきたのです。

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 ところで、高専生と同じ年代の学生を教育している機関といえば高校があります。

専門高校としての商業、工業高校が、それに該当します。

 これらと高専の大きな違いはどこにあるかといえば、より2年多いということです

が、そのより2年多い期間において、「研究」がなされていること、ここに大きな違い

があります。専門知識の基礎を学び、一般教養を習得し、そして高度な専門知識に

関する研究を行う所に重要な意味があります。

 この場合、研究とは、つねに新しいことを指向する行為ですから、時代の進展にも

対応していくことに特徴があります。

 つまり、若い時から専門知識を学び、それを踏まえて研究を行い、若くして卒業す

る、そして次の目標に向かうことができる、この柔軟なシステムが時代と符合する

ようになり、高専が見直されるようになりました。高専を卒業して大学に行けば、そ

のほとんどがトップクラスの成績を修め、卒業研究では、抜群の実践力を発揮し、

他の大学生と際立った研究をするようになり、大学の教授も高専を認めざるを得な

くなりました。企業でも、その実践力が注目され、大変な求人倍率になっています。

 しかし、一方で高専の中に閉じこもって教育だけをやればよいという考えも蔓延る

ようになり、それから、教育、研究、社会貢献、クラブ活動指導、生活指導、さらに

は寮の宿日直まであるということですから、その多様な多忙さに音をあげそうにな

る教員も少なくありません。

 とくに若い教員であれば、それを諸に浴びることになりますので、そこから自分な

りの活路を見出すことが困難になり、その壁を突破できずに甘んじることも珍しくあ

りません。つまり、教育者として、研究者として、さらには社会貢献者としての資質

が、そのままストレートに問われることになり、困惑してしまうのです。

 これらは、私自身が経験してきたことですから、その壁の厚さ、高さについてはよ

く理解しているつもりですが、その突破は簡単ではありません。

 さて、シリーズ3弾の主人公、すなわちK3先生は、高専に赴任されて10数年が

経った、いわゆる中堅どころの方です。高専にもなれ、油も乗りきって大活躍され

る年代のはずですが、どうも元気がありません。高専に入ったころの「はつらつさ」

も消え失せ、いつも疲れたように見えました。少し前に、若いきれいな女性と結婚を

されましたが、それでも、なんとなく何か心の中にしっくりいかないことがあるようで

した。

 「このままでよいのだろうか。いったい、高専の教員として何をしてきたのか、これ

から何をすればよいのか?」

 自問自答の日々が続いていました。折しも、高専は、独立行政法人化され、その

最初の措置として高専間の人事交流がなされる制度が設けられました。この制度

については、高専を改革する決め手になると得意になっていう管理者もおられまし

たが、いざ実施されてみると、そうではなく、それは何だったのかと思いますが、こ

のKさんにとっては、これが重要な転機になりました。

 自問自答の結果は、思い切ってT高専からでてみよう、新しい刺激を受けてみよ

う、こう決心し、Kさんは日本列島を南下することにしました。

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