K先生が「マイクロバブル風呂仲間」になっていただいたことから、それを通じての

交流が始まりました。文化系の先生ですから、私にとっても、その会話は新鮮で、

非常に役立つものとなりました。それは、マイクロバブルの科学的特性や機能につ

いてのほかに、マイクロバブルの「社会的受容性(受け留め)」の問題にまでも話が

及ぶようになったからです。

 明治の時代では、牛肉が驚きを持って日本社会に受容されつつあることを国木田

独歩は素直に描きました。話は、牛肉で、そうなのですから、マイクロバブルの吃驚

だったらどうであろうか、という問題へと展開し、きっともっと驚いたであろう、芥川

龍之介だったら、それ以上の驚きをもって受け入れれたであろう、これがK先生の

推測でした。

 こうなると、マイクロバブルは現代社会に、どのように浸透し、受容されていくの

か、大変興味深い問題といえます。

 「K先生、その社会的受容の問題を踏まえますと、これから、それがどうなっていく

か、逐一しっかり見届けていただく必要がありますね」

 「そうなんですよ、私には、マイクロバブル・ウオッチャーとしての役割があるような

気がしています」

 「なるほど、マイクロバブル・ウオッチャーですか、良い言葉ですね。となると、先

生は、とことん観察し尽くすことが重要になります。それは、シャーロック・ホーム

ズに例えれば、かれの相棒のワトソンの役割ですね。そうであれば、私の推理も

ホームズのように洗練化される必要がありますね」

 「そうだね、ワトソン君!」と思わずいいたくなりました。結局、この論議が発展し、

二人には、「マイクロバブル社会学」、「マイクロバブル未来学」としての新たな学問

的視点が芽生えてくるうようになりました。異なる専門の議論から、それらを融合す

る新たな視点が生まれた瞬間でもあり、とても有意義な議論となりました。

 しかし、この到達に至るまでには、さまざまな議論における紆余曲折がありまし

た。ある意味で、二人して高専教員であるという問題を引きずっていたからでした。

 ところで、本日は、とてもよいことが起こりました。昨日会ってきたプロ野球選手が

小さくない復活を遂げたからです。多くのファンの声援に囲まれながら、見事なカム

バックを遂げました。

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