その後、K先生には、不運が訪れます。父親の他界、奥さんの入院と窮地に陥っ

てしましました。心配、不規則な食生活、慣れない土地で、少なくない心労が重なり

ました。さぞかし大変なことだったろうと思いますが、頼みの綱はマイクロバブル、

その入浴だけは欠かしませんでした。

 この頃のK先生との会話を思い出しますと、なかなか「気分前向き」になれない心

情が滲(にじ)んでいました。

 しかし、そうとは知らず、私の方は、相変わらずの調子で会話をしていました。

 「どうして、先生は、前向きになれるのですか。そして、先生は、周りの高専のこと

をあまり気になさっていないようですが、それが不思議です」

 この会話では、「後ろ向きや周辺の反応に拘る」K先生に対し、「前向きにのみ拘

り、周辺を少しも気にしない」私との見事なまでの「違い」が浮き彫りになりました。

 「こんなにスケールの大きい仕事をなされているのに、どうして周りの方々は、そ

れを評価しないのでしょうか。私は、それがとても不思議です」

 「それは、高専だけでなく、今の日本社会でしたら、どこでもあることです。それ

に、そんなことを一々気にしていたら、こちらも気分が後退してしまいます」

 「短所是正にこだわるのではなく、長所伸長に全力をつくす。これしかありません」

そういいながら、若い時には、その逆ばかりで、「労多く、功少なし」の連続であった

ことを思い出していました。自分もそうだったので、私よりも20歳も若いK先生が、い

ろいろな問題点に拘るのは無理もありませんでした。

 この会話を何度も繰り返しているうちに、話は、自然に高専教員としてのK先生自

身の問題に接近していきました。私のことではなく、その背後に自分自身の問題が

横たわっていることが徐々に浮き彫りになりました。

 そして、次の2つの決定的な出来事が発生します。

 その第1は、父親と奥さんの大事で心身ともに疲れていたK先生が、人間ドックに

入って検査をなされました。いつも相当悪い結果なので、今回はそれ以上に悪く

なっているだろう、そう予測していました。

 おそる、おそる、その結果を開けてみると、なんとまったく予想とは異なる結果で

あり、吃驚しました。

 「なんと、すべて良好の結果ではないか。なぜか?」

 今度は、すぐに思い当りました。

 「そうか、マイクロバブルだ!恐るべし、マイクロバブル」

 こうつぶやくとともに、なんだか嬉しくなりました。さっそく、その結果を奥さんに報

告し、喜んでいただけました。その病床の奥さんにとっては、久しぶりに見た夫の

笑顔でした。

 2つ目は、その奥さんのことです。病院では、いろいろな治療をされたそうですが、

結局、病態は好転せず、退院して自宅療養することになりました。

 「そうか、もう治らないのか」

と、半分あきらめかけていたのですが、そうではありませんでした。マイクロバブル

入浴が、それを劇的に治してしまったのです。今度は、当の本人の奥さんがとても

喜びました。

 こうしてK家にとっては、その窮地を、マイクロバブルが、文字通り「救う」ことに

なってしまったのです。

 この奥さんの件については、後日談があります。ある大学の医学部の先生と、こ

の件について話をしていたら、その先生が、真面目な顔で、次のようにいいました。

 「先生、それは、通常治らない病気といわれています。神経細胞が死ぬことによっ

て起こる病気ですから、その周辺の死にかかった神経細胞が生き返らないかぎ

り、治ることはありません」

 「ということは、これは大変なことなのですね」

 「そうですよ、治ったとしたら大変なことが起きたことになりますよ」

 こういわれ、私は、事の本質の一端を理解できたようでした。

 こうして、K家のみなさんは、すっかりマイクロバブルのファンになられていきまし

た。二人して、最初にやられた実験は、マイクロバブルの風呂水を枯れかけた植木

の植物に与えられたそうです。そしてら、枯れ落ちそうになっていた葉が蘇り、緑の

木に変わっていったそうです。

 この緑の木は、まるでK家を象徴しているようでした。

 湖面を夏の風が渡る水辺にて                       (この稿続く)

J0421794