月曜日の朝早く、福島のホテルを出て仙台松島へ向かった。昨夜は夜遅くまで歓

待されたので、少し、いや、かなり疲れが身体のどこかに残っていた。地元美容院

の方には、丁寧なことに見送りもしていただき、そのことに私どもの技術に対する期

待の大きさが現われているように感じた。

 途中渋滞もなく、順調に目的地の「田理津庵」に着いた。少し早く着いたようで、

そこで待つことになった。

 眼前は松島の海、緑の小島が美しく点在していた。お客さんは少なく、松島がよく

見える窓側の予約席にすわった。手持無沙汰を紛らすために、良く冷えた日本酒

を早速注文し、その香りを味わいながら眼前の景色に見惚れた。

 「やはり、松島はすばらしい」

 その美味しい、これまで味わったことがない酒が胃の中に沁み込み、疲れた身体

が癒されはじめた。美しい景色を見ながら、久し振りの静かな一時を楽しむことが

でき嬉しくなった。

 「ほんとうに慌ただしい日々の連続であった」

 旅の疲れか、それとも美味しい酒が沁み渡ったせいなのか、ふと睡魔が襲ってき

た。

 「すこし休ませていただこう」

 ここちよさが、さらに眠りを深めた。

 

 あれはいつだったか、眠りの中で記憶が薄れている。たしか、1978年6月12

日、午後5時を過ぎて会社の仕事を終ろうとしていた時だった。マグニチュード7.4

の巨大地震が襲ってきた。死者16名、負傷者101191人、全壊4385、半壊

86010という大変な被害が発生した。それは仙台宮城地震、我が国では初めて

の都市型地震であった。

  床が急に揺れ始め、私はとっさに机の下にもぐりこんだ。怖かった。同僚は、トイ

レのドアノブを握ろうとした瞬間にトイレ自体が揺れ始めたと、後で話していた。

 私は、ある企業の花形OL(オフィスレディー)だった。仕事は楽しかったが、なに

か、ものたらないものがあった。

 「このままでよいのだろうか?」

 その思いは、少しづつ、しかし確実に膨らんでいた。

 「自分がやりたいこととは、なんだろうか?」

 そう思いながら、それが何かわからない。自分らしい仕事とは何か、それが見い

だせない日々が続いた。

 ある日、私はいつも行っている馴染みの美容院に出かけた。自分の髪がきれい

になる、その姿を見るのが好きだった。自分の姿が、目の前で、どうしてこのように

変わっていくのであろうか、それもふしぎなことであった。左手に櫛、右手に鋏の見

事な手さばきに感動した。

 ふと美容師さんの一挙手一同をしみじみ眺めている自分に気づいた。

 「そうか、自分が好きな仕事とは、これだったのか」

 こう思うと、いても立ってもおられず、まず、その転職を妹に相談した。すぐに母に

相談すれば、反対されることは目に見えていた。

 しかし、その意志は変わらなかった。

J0432375