「ゴールドクラウン」、聞きなれない言葉ですが、直訳すると「金の冠」となります。

だれも、このような豪華な冠をかぶったことはありません。昔は王様しかかぶれな

かったのですが、今は、その事情が変わってきて、お酒の名前にまで付けられるよ

うになったのですから、まさに大衆化がなされた証拠といえます。

 王様のみがかぶっていた金の冠を、多くのみなさんが、それをかぶったつもりで

酒を飲むのですから、こんな愉快な話はありません。

 実際の金の冠はなくても、それを大勢の方がかぶったつもりで愉快になる、これ

はとてもすばらしいことです。そんな金ぴかの王様の冠をかぶることができると、さ

ぞかし、りりしく、威厳に満ちた考えを持つことができるようになり、小さなことにはこだわらない立派な人格形成に役立つようになるのではないでしょうか。

 これとよく似ている響きの言葉に、「金的を射る」があります。オリンピックで金メダルを取ること、これは選手にとって、そのメダルを取ることと同じ意味になります。しかし、ロボコン創始者の森政弘先生は、名著「『非まじめ』のすすめ」のなかで、この言葉を次のように解説されています。

  「本当は、自分だけが当たるということはあり得ないと思う。自分が当たったときに

は、他も当たっていなければ、その当たりはにせものである。一人残らず全員が金

的の真ん中を射抜く状態こそが本物なのである。このとき、人類全員は、それぞれ

に賦与された天の使命を全うしていて、地球全体が輝き出している」

 どうやら、この場合の金的は、オリンピック選手が射抜いて手にするメダルとは異

なるような気がします。「一人残らず全員が金的の真ん中を射抜く」ものでなければ

ならないようで、マイクロバブルは、この「一人残らず」の場合に相当するのではな

いかと思いを廻らしていたら、以下の朗報が舞い込んできました。

 それは、四国のある高専の先生が、本日訪問されたときに告げられたことでした。

 「マイクロバブルの風呂用装置『光マイクロバブルB1』を㈱ナノプラネットから購入させていただき、すぐにリハビリ中の母の家に設置させていただきました。


 何もいわずに置いていきましたが、母も喜んで使っているようでした。


 母は、1年前に倒れて身体の左半分が動かなくなりました。その後リハビリでなんとか歩けるようになりましたが、手の指は全く動きませんでした。


 ところが、マイクロバブルの風呂に入り始めて2週間後に指が動き始めました。母も私も喜んでいます。そのことを先生のブログにぜひ書いてください」


 うれしそうに、眼を輝かせながら、彼は、こういったのです。


 「それは、とてもよい親孝行をしましたね。お母さんは、とても喜ばれているでしょうね」


 こういうと、かれは嬉しそうにうなづいていました。


 かれとささやかな祝杯を交わした後に、私は、こう思いました。


 「そうか、かれは、お母さんの頭に金の冠をかぶせたのだ。息子からの何よりの

プレゼントによって、お母さんは、金的を射抜いたのではないか。これこそ、森先生

がいう輝きではないか」

 彼と別れた後、とてもさわやかになり、道路をしばらく歩いて帰ることにしました。

私の脳が、この感激を私の脳の中で記憶に刻ませようとしたからでしょうか、と

ても「ここちよい」ウオーキングとなりました。

 金的を射抜き、母の頭上に金の冠をかぶせてあげる、生きておれば、私の母に

も、「それを実現させたかった」ことでした。

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