この1週間、懸案となっていた教育的仕事に没頭し、それを

本日ようやく終わることができました。日頃からきちんと準備し

ておけばよいのですが、これがなかなかできないままで、反省

しながらの作業でした。

昨今は、教育的仕事においても、きちんと証拠を残し、それ

が審査を受けるという時代になりましたので、それを想定して

何事も行うことが、否が応にも問われるようになりました。

みなさんも同じですが、教育に熱心に取り組めば組むほど、

その作業量が増えて、それがより大変になっていくのですか

ら、その矛盾はどこまでも拡大していきます。

教育現場にいるのですから、それを避けて通ることは、もち

ろんできません。しかし、あまりにも膨大な作業量の増大で、

みなさんに余裕がなくなってきていることも間違いない事実で

あり、それをどのように考えるべきかについても大切な検討課

題となっています。

周知のように、高専は教育を中心に動く教育機関です。です

から、日頃の会話においては研究のことがほとんど出てきま

せん。ここが大学とかなり異なる点です。しかし、高専に専

攻科(大学の3、4年に相当する)ができてからは、少し事情が

変わってきました。専攻科の学生においても、学会で研究成

果を発表することが奨励され始めましたので、高専教員も同じ

ことが問われるようになりました。

以前は、教育と研究を意図的に対立させて捉え、研究をす

ることは「教育をしない」ことと考える風潮が一部にありまし

た。

最近になっても、この風潮が残っているのでしょうか、あると

き、責任ある立場の方から次のようにいわれたことがありまし

た。

「研究をしすぎると、教育がおろそかになることはありません

か? 私は、それがとても心配です。」

私は、これに対して次のように反論しました。

「高専には専攻科があります。その教育を行うのに、研究を

行うことは不可欠のことです。ある学会には、高専の専攻科生

を対象にした『論文奨励賞』というものがあります。たとえば、

この奨励賞を受賞するような学生を育成することは、教育をお

ろそかにすることになるのでしょうか?」

こういうと、彼は黙って何もいえなくなりました。

今日の社会では、何か自分に都合のよいことを理由にして、

「無理な正当化」をする風潮が一部にありますが、そこでは、

一見すると「対立」が起こることに対して、それを真正面からと

らえて「止揚」する改善を目指すことがなかなかできなくなって

いる実態があるように思います。

たしかに、高専における教育と研究は、相対立する側面が

多いのですが、それゆえに、その問題を乗り越えることに大変

な価値があることを見逃してはなりません。

これは、他の教育機関や企業、さらには普通の市民の方に

もいえることで、研究を通して、価値あるブレイクスルーを実現

することは非常に大切なことで、普遍的な豊かさを有すること

なので、意図的排除で事が済む問題ではないのです。

その意味で教育も研究も、それを真正面からとらえて実践し

ようとする方にとっては、どこでも同じで、さらには、より困難が

存在するところで、それらを行うことにこそ、より価値があるの

ではないでしょうか。

私自身、高専は、その修行において最高の機関のひとつで

はないかと思っています。

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