ピエールとマリーは、鉱石中から光る物質を見出したことを大学の上層部に
報告し、それを本格的に抽出する実験をするための実験室を要望しました。と
ころが、大学当局の反応はまったく後ろ向きのものでした。
まず、その研究成果そのものを認めようとはしませんでした。鉱物中に光る
物質が存在することさえ認めなかったのです。第2は、女性が研究することを
認めたくなかったのです。
粘りに粘って、ようやく与えられた実験室は、雨漏りのする掘立小屋でした。
あまりの冷遇にピエールは怒りますが、マリーは、それでもよいと夫を説得して
研究を開始しました。
このようなことは珍しいことではありません。その研究成果が画期的なほど、
その周囲は、それを理解することができません。むしろ、このような反応は、現
在においても、ある意味で普通に起こっていることですので、大切なことは、そ
の対抗手段を自ら持つことです。
マリーは、雨漏りのする掘立小屋でも、「ないよりはまし」と思い、研究に打ち
込んで、誰もが納得するような成果を出すことが何よりの対抗手段と考えたの
でした。
こうして内なる対抗手段を有すると、人は鋼のように強くなっていきます。周
りのつまらない雑音や非難も気にしなくなり、一心不乱に研究に取り組めるよ
うになるのです。
研究費がなければ、ないなりに工夫をし、なくても済むようなアイデアを思い
浮かべることができるようになります。
このアイデアを生み出すことがセレンディピティを高めていく能力を育ててい
きます。こうなると、むしろ、不認知や無視、さらにはいやがらせや迫害も、歓
迎すべきことに変化していきます。自らを高め、発展させるという観点に立て
ば、時として、それらは、ある意味で「ありがたいこと」にもなっていく場合もあり
ます。
「そうか、この否定的な結果も、考え方によっては、良いことであった。ありが
とう、ほんとうに良かった」
とさえ思えるようになります。
おそらく、マリーも、掘立小屋の中で、誰からも関心を持たれず、静かに研究
をすることができたことに感謝したのではないでしょうか。彼女にとって、最大
の理解者であるピエールにきちんと理解していただければ、それで充分だった
にちがいありません。
この「環境整備」によって、マリーらの不屈の研究が進展していきました。
コメント