昼から地元自治体の環境基本計画に関する委員会が開催され、その後市の企

画課長のNさんと懇談しました。気分よく歓談して、迎えの車を待っているときに、

目の前の樹木に目が留まりました。それはみごとな枝ぶりで、第二次世界大戦時

の空襲で焼けおちた後に植えられたものでした。直径は数十センチメートル、その

枝ぶりは10本近くも伸びていて、その雄姿には感動すら覚えてしまいました。

 やはり、歳を重ねて立派に枝を伸ばした姿はすばらしいですね。

 この雄姿をしばらくうとれて見ているうちに、はるか昔のことを思い出しました。あ

れは確か小学校の4年生の時でした。美術の時間に、教科書に載っていた木の絵

の説明を受けました。たしか中島先生という名の担任からでした。

 その木の絵が印象に残ったのでしょうか、すぐ後の美術の絵の時間になり、私

は、校庭にあった1本の木を描きました。たしか、木の幹の模様を鉛筆で丁寧に描

き、それを青色インクで上書きし、書きかけのままでしたが、それをひとまず提出

せよというので、そのまま提出しました。

 ところが、それを受け取った先生の様子がいつもと違うので、私も少し吃驚してい

ました。その絵を提出した後に、先生から呼ばれ、この絵をすぐに完成させろとい

われました。

 それから、毎日放課後は、その木の前で絵を描き続けました。日曜日も出かけて

描き、たしか夢中になって尻が痛くなるまで描いたことも思い出しました。

 例によって、鉛筆で描き、その上をペンで上描きし、さらに水彩絵の具で色を付け

るという方式で描きました。それを先生は大変気に入られ、どこかの絵の展覧会に

出されたようでした。

 このとき、先生の期待は大変なもので、私は、それに少しでも応えたいと思って懸

命に絵を描きました。これを通して、丁寧に、粘り強く克明に、絵を描くこと、その大

切さを理解して、私の画風も変化することになりました。

 じつは、その木が楠木だったことを思い出したのでした。いまから50年も前のこと

でした。

J0417890