昨日、アパートに帰った際に、F先生からの郵便物が届いていました。自費出版

の文集であり、F先生は、高専の校長を退任されてから、定期的に、この文集を出

版されてきました。これらの文集には、先生の歩んでこられた経験を忠実に記録す

るとともに、その時に何を考え行動してきたかが真摯に記述されていますので、そ

れゆえに説得力があります。

 このF先生とは、家に帰ってくる直前に、電話で懐かしい会話を交わし、そこで、

今年で79歳になられること、回数は減ったが元気で山登りをされていることなどに

ついて語られていました。

 このF校長とは、いろいろな面で意気投合していたのでしょうか、心の奥底に触れ

る出来事がいくつもありました。

 たとえば、高専の2年生までのクラス編成において学科の枠を壊して「混合学級」

にすることも、その一つでした。この校長提案に対して、私以外の誰も賛成しなかっ

たことがありました。校長の部下すら賛成しなかったのですから、これは文字通りの

「総スカン」現象が起きていたことと同じでした。

 当時の私は、教職員組合の役員をしていましたが、その校長提案を賛成したの

も、その組合役員一人だけでした。

 今でも、教員会議のなかで、その校長提案に対し、勇気を振り絞って、それに賛

同すると発言した時のことを思いだすことができます。その時は、だれも、それに続

く意見がなかったのですが、その後、徐々に、その校長提案に賛同する意見が増

えていきました。

 F先生は、後で述懐されていますが、このとき誰も賛同しなかったら、校長を辞す

ることを覚悟されていたとのことでした。まさに、危機一髪で留まることになったわ

けで、私は、その述懐を文集のなかで目にしたときに、「よいことをした」と思いまし

た。

 このとき、私も若かったのでしょう。自らの立場を考えずに、正しいと思ったことを

堂々といえたことに少しも悔いはありませんでした。

 こうして、たった二人の賛成から始まった「混合学級」制度でしたが、それが実現

されるとすぐに、その優れた成果が明らかになりました。そして、だれも、その成果

を否定できなくなったのでした。

 以来、その制度が20数年維持されていますが、その発端が、この「二人の賛同」

だったのです。

 今では、そのような事情を知らない方が多くなりました。おかげで、校長との友情

は深まりましたが、逆に、それを「よしとしない」方々からは、いろいろなことをいわ

れることになりました。

 しかし、それを遂行しなかった場合には、校長が辞めるか、あるいは、それに近

い「死んだような状態」が続いたわけですから、文字通りの「分岐点」であったこと

には間違いありません。このときのF先生には、反対が大勢であっても決してひ

るまない「毅然さ」があり、とても立派だと思いました。

 いつもは、紳士で、口数が少なく、聞き上手の方でしたが、このときばかりは、そ

れと正反対だったのです。文字通り、自分の職を賭して提案されたものですから、

それに、事実上反対した、当時の校長の部下の先生方も、その迫力にはかなわな

かったのです。

 皮肉にも、だれも賛成しないであろうと思っていた校長提案に、一人とはいえど

も、賛成したものがいたということも、彼らの誤算となりました。こうして、三つ巴、

四つ巴の現象が起き、当時の学校はとても賑やかになっていきました。

J0411942