K3さんの勧めもあり,カザルストリオの「大公」のCDを早速聞いてみました.また

同時に,娘が気をきかせて,ホワイトハウスでの演奏会のCDも取り寄せてくれまし

た.この演奏会の最後に「鳥の歌」が録音されていました.

 晩年のカザルスは,かならず,この曲を最後に演奏するようになっったそうです

が,それゆえでしょうか,この鳥は,「ピース(平和),ピース」と鳴くというエピソード

まで生まれたそうです.学生時代に,この話を聞き,なぜか,とても感動したことを

覚えています.しかし,そのころは,小さなラジオしかなく,いつか,本物の「鳥の

歌」を聞いてみたいと思っていました.

 しかし,その機会はなかなかなく,先輩の下宿に行ったときだったか,それともラ

ジオだったのでしょうか,すでに記憶が失せてしまっていますが,どこかで,それを

耳にし,「そうか,こんなに素晴らしい歌だったのか」という思いが込み上げてきたこ

とを思い出します.

 二度目の出会いは,琉球大学の教員時代によく通った音楽喫茶「1812年」でのこ

とだったように思います.10チャンネルのスピーカーが設置され,定時演奏もしてく

ださる喫茶店がありました.その演奏室は暗く,テーブルの前にスポットがあり,一

人静かに聴くことができました.また,この定時演奏のプログラムについては,解説

のアナウンスもあり,すっかりクラシック音楽が好きになってしまいました.ここで

は,素晴らしい音色で,大迫力の「鳥の歌」を聴くことができました.

 そして三度目の出会いは,高専でしがない研究をしていた若いころだったでしょう

か,もう記憶にはほとんど残っていません.その意味からすると,今度が,正真正

銘の三度目かもしれません.そのきっかけは,無伴奏チェロの演奏を聴き始め,そ

れが頭に響き始めたことにあり,それが,上記の理由で,再び「鳥の歌」に出会うこ

とになりました.これを聴いて,上記の「青春時代の思い」が自然に蘇ってきて,心う

れしい思いで満たされるようになりました.

 今朝も早く起きて,この鳥の歌をたっぷり聴いてきました.渾身の演奏のあまり,

カザルスの唸り声が同時録音されていますので,明るく安定したチェロの旋律と

この唸り声のコントラストが,なぜか見事に聴こえました.

 もの悲しい旋律でありながら,空を飛ぶ鳥の雄大さが,この歌に込められている

からでしょうか,聴く方にも,不思議な勇気を与えてくださる演奏だと思いました.

 「鳥が何なく空を飛んでいるように見えるが,それは人間にとって,そう見えるだ

けだ」

 カザルスは,このような主旨のことをいったそうですが,それだけ自由に空を飛べ

るようになるには,その背後に,大変な修行と努力がの結果があるのだということ

を示唆する言葉であったと聞いています.

 カザルスの晩年は,私の学生時代と重なります.スペインを追われたカザルス

は,平和を大切にしながら,その修行を最後まで尽くされた方であり,それらの活

動の情報の一端が,当時の私にも届けられたのかもしれません.

 数十年の時を超え,カザルスの「鳥の歌」に三度励まされた私ですが,その私の

目の前には,マイクロバブル技術を発展させる大事業が立ちはだかっています.カ

ザルスの鳥のように,それらをはるかに飛び越え,やがては,その大空を悠々と舞

うことを目指しますが,そのためには,何よりも自らが「空を飛ぶ」ことができるよう

に修行を日々繰り返しえ行かねばならないのかもしれませんね.

 三度目のカザルス,青春時代とは少し異なる受け留め方をさせていただきまし

た.

                                 京都への新幹線車中にて

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