Kさんは、私よりも音楽通ですから、カザルスさんとも、かなり突っ込んだ話をされ

ていました。横からその顔を見ると、とても紅潮されて喜び溢れる顔になっていまし

た。なにせ、巨匠と直に話をすることなんて一度もなかったことですから、それはそ

れは、大変な興奮ぶりでした。相手の巨匠は、静かにKさんの話を聞きながら時々

肯き、静かに「そうですね」と短い言葉を発していました。

 その会話が落ち着いたころになって、私は、どうしても聞きたいことがあったので、

次のように尋ねました。

 「私がとても好きなバッハの無伴奏チェロ組曲のことについて質問させていただき

ます。12歳の時に、古本屋で、この楽譜を偶然発見されたと聞いていますが、その

時は、どのように思われたのですか? それから、その楽譜を見ながら一心に練習

されたそうですが、その曲は、当時のあなたにとって、どのようなものだったのです

か?」


 「その楽譜は、大きな箱の中に山積みされたなかから、偶然見つかりました。12

歳の私でしたが、それは大変な宝物ではないかと思いました。早速、喜び勇んで楽

譜を買い取り、みんなが寝静まったところで、一人起き出して、わくわくしながら、そ

の曲を弾いてみました」


 「ど、どうでした?」

 
「はい、すぐに落胆することになりました。当時の私には、その組曲を奏でる力

がないことを悟りました。あの『音楽の父』が苦労して書いた組曲を、すぐに演奏で

きるはずはなく、しばらくは打ちのめされたままでした」


 「カザルスさんでも、そうでしたか?」


 「何度挑戦しても、一曲すら弾きこなすことができませんでした。私の音楽性が未

熟だったことはもちろんのことでしたが、自分が習ってきた技法を根本的に改めな

い限り、演奏を行うのは到底無理であることを知りました」

 「つまり、それまで体得してきた技法を捨てるか、捨てないかの選択を迫られたわ

けですね」

 「その通りです。実際には、そんなに簡単なものではなく、あーしてもだめ、こうし

てもだめ、の連続でした。その度に打ちのめされて裏山にいって一人淋しく空を

眺めていました」

 「12歳にして苦闘の連続、その楽譜を見つけたばかりに、そんな苦労が舞い込ん

できたわけですが、よくあきらめなかったですね」

 「正直、何度も、もう止めようと思いました。なぜ、私だけが、こんなに苦労しなけ

ればならないのかとよく思いました。当時の私は、なんでも弾けると思っていました

ので、それが実現できないことが悔しくて、悔しくてたまりませんでした」

 「だれも、その気持ちを理解してくれる人はいなかったのですね」

 「いや、そうではありません。あるとき、元気をなくしていた私は、『どうしたの?』

と母から尋ねられました。私は、正直に、その辛い思いをすべて告げました。言い

終わると、涙が溢れるように出てきました。母は、『あなたが辛いなら、いつでも止

めてもよいのですよ、でも、それは、もう少しやってみて決めてもよいのではないで

すか』、こういいました。こういわれ、気持ちが楽になり、『もう少しだけ練習してみよ

う』という思いが湧いてきました」

 「お母さんの一言が大きかったのですね」

 「そうです。その一言があり、『もう少し、もう少し』と、続けることができました。結

局、その演奏を初めて行ったのは、それから13年後の25歳の時でした」

 ときどき、少年のような顔を見せながら、しみじみ振り返るカザルスさんを目の前

にして、私たちは何もいえなくなってしまいました。となりのKさんも、いつしか、黙っ

てしまい、神妙になっていました。

                                         (この稿つづく)

J0198904