パブロ・カザルスの音楽活動は,母の支援によってなされていましたが,生活の

困窮は極度に達し,彼の母は自分の髪の毛を切って売るまでになっていた.失意

のうちに,パリから故郷のスペインに帰った彼は,知人の紹介で運良くバルセルナ

の音楽院に勤めることになりました.20歳のことでした.ここから,彼の音楽活動が

始まりますが,それも,チェロ奏者として自立していくことを母から教えられたことで

した.

 父とともに発見したバッハの無伴奏チェロ組曲の演奏も,その演奏技法を工夫す

ることによって徐々にできるようになりました.彼は,後に,自分の演奏技法に関係

して,「鳥が大空を自由に飛べることには理由がある」といわれたそうですが,その

演奏の様は,鳥が空を飛んでいるような腕さばきであり,それまでの演奏技法を根

本的に変えることによって,彼独自の演奏スタイルが開拓されていきました.

 無伴奏チェロ組曲との格闘は,演奏技法をも変える「粘り強い創造力」を生み出し

たのでした.晩年,彼は,毎朝の練習において,その組曲から弾き始めたそうです

が,それは彼自身によって「自分を浄める」ことだいわれていました.

 その間,母国スペインでの共和国成立,フランコ政権からの亡命,第1次世界大

戦,第2次世界大戦があり,彼の音楽家としての人生も,それらに色濃く影響を受

けていきました.

 その波乱に満ちた人生を送ってきたカザルスさんが,私たちの目の前にいまし

た.会話が途切れて,黙っていた私たちに,彼は,私たちに,こう尋ねてきました.

 「はるばる,日本から来られたそうですが,ここまで,どのようにして来られたので

すか?」

 いきなり,こう尋ねられ,即答に困って,まごまごしていると,さらに質問されまし

た.

 「戦争に負けた後で,あなたの国は,ずいぶん立派に復興されましたね.私の

演奏を好きになってくださる方々がたくさんおられ,ありがたいことです.それにして

も,あなた方は少し変わっていますね.何もいわずに,私の朝の練習を黙って聴い

ているだけですから,私は,そのような方に出会ったことがありません」

 「いえ,私たちは,それだけで満足しているのです.他に望む物は何もないので

す.それに,こうして直に話ができたわけですから,これこそ,無上の幸せといえ

ます」

 「そうですか,それにしても,あなた方は,どこか遠くからといいますか,不思議な

何かを持っているようですね.それに,来ている服も違うし,何かがちがいますね」

 これは大変なことになってきました.あの鋭い眼光で見られ,私も隣のKさんも,

肩をすくめていました.

 「これはいかん,なんとか話題を変えないといけない」と思いながら,咄嗟にいった

ことが,結果的には油に火を注いでしまいました.

 「あのホワイトハウスの公演はすばらしかったですね!」

 気を利かせたKさんが続きました.

 「そうですよ.最後の鳥の歌の演奏には力が入っていました.今日の演奏と同じ

でした」

 こういうと,みるみるうちに,カザルスさんの表情が険しくなっていきました.

                                         (この稿つづく)

J0309836