新横浜19時29分発の新幹線「のぞみ」に乗り,さて今日中に周南市まで帰れる

か,心配しながらアクセスを調べてみると,どうやら20分遅れで,最終便に間に合

わなかったようです.現在は,広島県福山を過ぎたあたりです.横浜でゆっくりしす

ぎたことが,余裕のない帰路になってしまいました.しかし,後悔してもどうにもなら

ず,野となれ,山となれの気分で,ブログ執筆に向かうことにしました.

 それにしてもK社長の話は強烈でした.前回は,彼のお父さんがエジソンに会っ

て真珠のことでエジソンが大変喜ばれた話でした.

 今度は,ご自身の話です.K社長は,小学校6年生の時に,呉市にいて,目の前

で広島の原爆を見たというのです.鮮明な光,そしてキノコ雲を自分の目で見たそ

うです.幸い,呉市にいたこと,坂道の手前で,直接光を浴びなかったことで,大変

なことにはならなかったそうですが,その後の小学校の教室では,顔がケロイド状

になった先生から授業を教えていただいたそうです.その先生が,次のようにK少

年にいわれたそうです.

 「広島には新型の爆弾が落とされたそうです.どうやら原爆とかいうものだそう

で,物を小さくしていくと,塊が分子になり,さらに原子になって,それを利用して

その原爆をつくったそうです」

 これを聞いて,K少年は,チョークをナイフでどこまでも小さく切っていったそうで

す.

 「どうしてチョークを小さく切ったのですか?」

 私には,その意味がわからず,こう聞きました.

 「チョークを小さく切り刻んで,広島の原爆と同じものを造ってやろうと思ったので

す.この気持ちは今も変わっていません」

 どこまでも小さく刻めば,分子,原子になって,爆弾が造れる,幼い少年が思った

対抗の方法だったのです.またまた,これは大変な話を聞いたと思いました.

 その後もK少年は苦労をされたそうです.幅1m,長さ2mの板張りの上で親子

3人が生活されたそうです.

 そのチョークを刻む思いと生活苦のなかからK社長の確固とした信条が形成され

ていったようです.大変勉強になりました.このような方が助手になるのですから,

私もチョーク刻みと板張り生活をしなければならなくなるのではないかと,少し心

配が過りました.いずれにしても,これからは「出たとこ勝負」です.

                                        (この稿つづく)

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