アン医師は,自然の法則や医学の基本を教えたのみならず,当時としては2つの
医術の手法,すなわち,薬を調合して与える方法と鍼(はり)打ちの方法のうち,とく
に後者に関する技法の習得に大きな影響を受けました.ホジュンは,その鍼打ち
の名人ともいえる腕の持ち主になりますが,それは,最大の師であるユ医師が認
めるほどの腕でした.おそらく,アン医師から,実践的に,その技法の手ほどきを受
けたのだと思います.この技法において最も重要なことは,最も必要な場所と深さ
に寸分狂わず鍼を打つことにありますが,これをホジュンは実践的にアン医師から
学びました.
この鍼打ちにおいて,最も象徴的なシーンが,崖っぷちで,アン医師が心臓発作
(心筋梗塞)を起こし,ホジュンに,その場ですぐに鍼を打てと命じたことにありまし
た.最も長い鍼を,心臓の裏側,つまり背中から心臓にめがけて打てというのでし
た.さすがのホジュンも,打つべきかどうか,そして,どこに打つべきか,さらには,
失敗すると命をなくしてしまうと迷い,躊躇してしまいます.
目の前には,「早く打て!」といいながら苦しんでいるアン医師の姿があり,ホジュ
ンは葛藤の末に,祈るような気持で長鍼を打ちましたが,これでアン医師は命を救
われます.この経験を経て,ホジュンは,実践的な医術としての鍼打ちの技法を身
につけることになりました.自らを信じて鍼を打つ,それ以降,ホジュンは一度も鍼
打ちに失敗することはありませんでした.
後に,この鍼打ちの技法習得は,皇后の心臓発作を救うことになりますが,それ
は,まさに崖っぷちでアン医師救った経験があったからでした.そして,ホジュン
は,その皇后の命を救ったことで確かな信頼を得ていきました.その鍼が,ホジュ
ンの運命を大きく変えていくことになりました.
なぜなら,宮廷の医官でさえ失敗を恐れて尻込みする(知識も経験もない)こと
をホジュンのみが「やり遂げた」からであり,その現場における「実践力」を身につけ
ていたからでした.この実践力は,確固とした知識や経験,そして信念に裏打ちさ
れて養われるものであり,これによって,ホジュンはひとつの「起業」,つまり,「鍼
の技法の確立」を成し遂げたのではないかと思われます.
その切迫度においてはやや劣りますが,これとよく似ている状況が広島のカキ養
殖においてありました.前年のカキの大量斃死(1998年)に続いて,その翌年にお
いても,カキが次々に死に始めたのです.私は,その真っ只中に入っていくことにな
りましたが,幸か不幸か,その時点では,そのカキの深刻な状況を認識していませ
んでした.しかし,実際の現場を訪れると,カキのほとんど(6割,7割)が死に始め
ていました.しかも,それが若いカキにおいても起こり,その時には,まだ身が残っ
ていて死臭も湧いていない状態でしたから,死の直後に訪れて観察したことを示し
ていました.
ところが,このときに,マイクロバブルを与えたカキ筏のみで,少しもカキが死んで
いなかったのです.しかも,20日に一度,5時間ばかり与えたのみでしたが,ここで
死んだ,死んでいないの劇的相異を目の前にしたのでした.
今思えば,カキが大量に死につつあるという絶体絶命の最中に,私は,その現場
に足を踏み入れ,そこにマイクロバブルによる活路を見出したのでしたが,これは,
私にとって「とても信じがたい,そして不思議なこと」でした.しかし,実際の海で
は,これと同じことが何回も出現し,その度に,マイクロバブルの優位性を確認する
ことになりましたが,これはマイクロバブルなしには到底できないことでもありまし
た.
こうして現場における「実践力」を養っていきましたが,これが,やがて,新たな
カキ養殖法としての「起業」に結びついていきました.
ホジュンの実践力,これからも学び続けていきたい,身につけていきたい「力」と
いえます.
(この稿つづく)
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