昨日は、かなり突っ込んだ議論を行いました。研究者であれば、あるいは技術者であれば、自分の研究した成果が社会に認められ、それが広く普及することを願っています。しかし、そのようなことは、なかなか一挙には進行しません。そこで、その壁を何とか突破するために、自分に対しても、その限界を広げようと努力します。
その議論は、次の3点においてなされました。
①足元の成果を観る
②「発明」が可能な「ひらめき」とは何か
③「高専」という壁をどう乗り越えるか
その第1の問題は、昨年から実施してきた「共同研究」の成果を掘り下げて考えてみることでした。この課題は、強烈な排水の臭気を軽減させることを主目的にしていましたが、その目的をほぼ達成したことを踏まえ、さらに、今後の展開をどのように考えるかにありました。
ある方がいっていましたが、「よい本」とは、それを読んだ後に「次の本を読みたくさせる本」だそうですが、研究もこれに該当します。「よい研究」とは、「次の研究を促す研究」であり、そこに「発展性」を見出せることに重要な意味があります。
この観点から、その共同研究の成果について、より掘り下げた議論を行った結果、そこにはいくつもの重要な可能性があることが判明してきました。排水という、いわば余分なもの、やっかいものを逆に利用するという逆転の発想が生まれてきました。
この場合は、臭気を奪いながら、逆に再利用ができるようにする、技術的には、「二律背反」的な課題をどう実現するか、そのための「ブレイクスルー」を、何を対象にして、どのようにして可能にするか、ここが焦点になりました。
同時に、その課題は、これまでの技術において、何が問題となっているか、この解明がぜひとも必要であることも浮き上がらせることになりました。
コメント
コメント一覧
先生を慕うかつての教え子たちと一緒に、マイクロバブルの研究しているのですか?私は水環境を専門にするポスドクなので、不安定な将来を考えると、少し気になります。教えてください。
コメント、ありがとうございます。
長野山の件、4〜6日と東京で重要な
仕事があり、夜遅く帰りますので、
参加できません。申しわけありま
せん。長野山登山で貴重な体験を
されてください。
大成博文(徳山高専)
ブログを読んでいただき、ありがとうございます。
もともと、最初は大学の教員でした。ご質問は、大
学よりも研究条件が優れていない高専でなにゆえ研
究を継続しているのかということですが、これまで
にいくつか、そのような機会がありましたが、結局
は実現しませんでした。これも運命の定めなのかも
しれませんね。しかし、高専でも工夫しだいでは十
分に研究ができますので、いまでは、さほど、その
問題を深刻に考えることはありません。そう考えま
すと、むしろ今の私にとっては、高専はよいところ
かもしれませんね。その高専では、自立して研究す
ることを余儀なくされ、その不利が、その自立で有
利に変えられることを学ぶことができました。た
しかに若い時は、その将来において不安になること
もありますが、それがあるから工夫をするという側
面もあるのではないかと思います。それから、水環
境を専攻されているようですが、この分野では、ま
すますマイクロバブルの有用性が明確になってくる
と思います。本日も、その観点から、文部科学省の
補助金申請の文書を書きあげたところです。
大成博文(徳山高専)
高専と大学のこと。小生は、両方を経験していますが、参考にはならないかもわかりません。が、ちょっとだけ。国立、県立、市立、私立があるにせよ、元々、高専は国立です。(今は、私立もありますが)。ドクターが夏ごろにブログ上で述べられたことこそ回答ですね。
さて、学力とは何か?学歴とは何か?学士とは?修士とは?博士とは?何か?ドクターには電話にて話をさせて頂きましたが、何のために金と時間を費やして学校に行ったのか。だけですね。博士号を取っても、企業は必要としない時代です。時代の変化に対応できるようたくましく社会に通用する体験、経験、勉強をしたかがインポータントですね。(試験の高得点をとるだけではないのは確かです。多分。)
奥は深く、幅は広く、3次元での世界に生きる我々は、反省と感謝の気持ちをもって、前進しかありませんね。がんばりましょう。ではでは。