2つ目の討論の課題は、「発明」が可能となる「ひらめきとは何か」でした。私たちは、新たな「ひらめき」を求めて日々生活をしています。「ああしよう」、「こうしよう」から、「もしかして、あれは、こうだったのではないか?」、「なぜ、こうなったのであろうか、その原因は、こうだったからかもしれない」などと、毎日、そのような思考を何度も繰り返しています。
まさに、その「ひらめき」を促す思考には、多種多様、千差万別といいましょうか、いろいろなものがあり、それらの多くは、それで終わり、つまり、単なる「ひらめき」の段階で済まされることが多いのではないでしょうか。
となると、これは、どこまでいっても、あるいは千回繰り返しても、それが「発明」に結びついて発展することはありません。
「高専全体を見渡しますと、そこから毎年生み出される特許は、高専1校あたりに換算しますと、せいぜい1,2件程度です。「ものづくり」」を目指す機関でありながら、特許申請が、その程度に留まっていることは、そのレベルが十分ではないことを示しています。これをどのように考えたらよいのでしょうか」
このように現状の問題を指摘し、さらに、次のような分析を行いました。
「特許申請の数だけが多ければよいかという問題もありますが、私は、『発明』を強く意識した『ひらめき』であるかという問題を強調したいですね。いい換えれば、よい発明に結びつくひらめきを指向しているかということですが、いかがでしょうか」
この発明を強く意識する際に、科学技術に関する知識が必要になり、そして、そのことを「考え抜く」ことが非常に重要になります。
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コメント、ありがとうございます。特許の問題において、私が強調したことは、「発明」が生まれるような「ひらめき」についてでした。これは、博学の知識を身につけることとは別のもので、それだけでは、優れた発明には結び付かないということです。ですから、すばらしい発明を得るには、そのひらめきを鍛えることが重要で、そこに本質があります。これを高専においても大いに磨き、育てる必要があると思っています。その意味で、やりがいのある職場といえます。