「よい発明」に結びつく「ひらめき」を考え抜く、これがとても重要な営為といえます。これは、囲碁や将棋士、歌手などの思考修行によく似ています。この訓練を日々繰り返して、その「ひらめき度」を向上させていく必要があります。

 学者にとって研究を行い、その成果をまとめて論文を書くことは仕事の一つですが、その学術論文をある程度書けても、そこから、世の中を震撼させるような「発明」がなかなか生まれてこないのは、この修行や訓練の部分を育むことに不十分さがあるような気がしています。

 この「ひらめき度」は、すでに明らかになっている途上での「ひらめき」と、まったく未知の分野に相当する「ひらめき」に大別されます。前者の場合は、「なるほど、よいアイデアのひらめきだ」と、自分でもすぐに理解できて、周囲から評価を比較的受けやすいものとなります。

 ところが、後者の場合は、まったく理解できない、どう考えらよいのかと、路頭に迷うことになりますので、とんでもない「ひらめき」といえます。

 それは、多くの場合、従来の理論や常識で、それを考え、理解しようとするからで、そこに新しい物質が存在するから、新しい概念が必要であるから、などという「常識」にはそぐわない考えを導入すると、そこから解明の糸口が開かれるようです。

 その場合に、なにげなく他人がいった一言が、後になって非常に重要となる場合もあります。そうすると「もしかして、もしや」と気づくことになります。

 マイクロバブルの場合は、この後者のケースが多く、それに揉まれて修行を繰り返しますと、その「非常識性」に慣れてきて、その非常識を基礎としての「概念づくり」や「発明への検討」が自然に行われるようになるのではないかと思います。

 この思考過程は、発明に結びつきようがない奇想天外な「ひらめき」ほど、じつは「よい発明」に転化する可能性があることを示唆しているように思います。