金曜日に、ある出版社の方が来られ、いろいろな話をするなかで、ホジュンのことが出てきました。どうやら、この方は、私のブログを読まれているようで、そのなかの「ホジュン」のことが、ちょっとした話題になりました。

 出版社の方との会話ですから、ホジュンの最後の仕事である『東医宝鑑』を題材にさせていただきました。ホジュンは、この体系的で実践医術に役立つ「医学書」を編纂することを痛感します。

 その理由は、次の3つにありました。

 ①日本との戦争で、医学書や診断書などの医学資料が、すべて焼けてなくなった。

 ②当時の医学は、国王をはじめとする宮廷のためにあり、庶民のための医学書がなかった。

 ③当時の医学は、自然のなかから薬剤となる植物を見出し、薬にすることと、鍼灸で刺激し、血流を促す方法で成り立っていたが、これらを含めて総合的な医学体系書がなく、その必要性をホジュン自身が必要だと思っていた。

 戦時中に国王の命を救ったホジュンは、その編纂の許可を国王から得て、それを開始しますが、それには、膨大なお金とスタッフの労力を必要とするものでした。

 国王の周辺の者は、その価値を理解しようとはせず、財政難を理由に、それを悉く妨害し始めます。また、国王が崩御してからは、ホジュンが追放され、残ったスタッフでは、その編纂がますます困難になってしまいました。

 ここで、かつての宿敵であり、数々の嫌がらせや陥れをしながら、最後には、そのホジュンに命を助けられたユ・ドジが、自らの御医としての職を賭して、罪人ホジュンに対して、その編纂資料を隠れて内密に送り続けます。

 この支援を受けて、ホジュンは、何もない海岸の流刑地の掘立小屋で、その「宝鑑」を一気に書き始めます。ここがホジュンのすばらしいところであり、その全12巻の内容のほとんどは、ホジュンの頭の中に入っていたのです。

 届けられた資料は、文字通り資料に過ぎず、そして、全12巻の内容に比較すれば、わずかな量と質のものでしかなかったのです。

 ここには、医学を志して勉強を開始し、実際の医学の現場で鍛えられ、生きた研鑽を重ねてきた膨大な経験やひらめき、そして発明の数々が、ホジュンの頭の中にはしっかりと構築されていたのです。 

 ですから、流刑地という劣悪の環境下でも、隔絶された悪条件が逆に活かされ、その執筆を爆発的に実現させたのです。また、それに対する支援を受けたことも、かれを心から励ますことになり、その執筆を助けることになりました。

 こうして、ホジュンは念願の「東医宝鑑」を書きあげますが、これを待ち受けていた新しい国王は、その素晴らしさを認め、それを後世に普及させました。幼き頃、ホジュンに自分の命を助けられ、育てられたことから、そのホジュンの集大成の仕事を誰よりも理解できた国王でした。

 そして、ホジュンは、前国王が崩御したときの御医としての罪を許され、新国王とうれしい対面をします。

 さて、このホジュンの仕事から何を学ぶべきか、これが非常に重要であり、そのことをじっくり考えてきました。

                                                     (つづく)