ユ医師という最高の医師のもとで,ホジュンの実践的な勉強が始まり,どんどん医学の知識を吸収していきます.

 薬草の知識も身につけるとともに,その処方も学んで,それがユ医師の目にとまり,薬草庫の係に抜擢されます.

 すでに薬草取りには先輩たちがいたので,4人抜きの快挙となりましたが,それは先輩たちにとってはとてもにがにがしいことで,彼らのホジュンに対する意地悪はますますエスカレートしていきました.

 しかし,それに対し,ホジュンは少しも怯まないようになりました.彼らの単純な嫌がらせや苛めを予想できるようにもなり,それらを簡単に跳ね返すことができました.

 そして,生涯の「好(?)敵手」であるドジ(ユ医師の息子)との闘いの攻防が始まります. このユ・ドジは,ユ医師から直接手ほどきを受けた愛弟子であり,科挙の試験にも先に合格した先輩でもありましたので,当初は常に上に居た人でした.

 そして,ドジから見れば,ホジュンは使用人に過ぎず,常に,その立場からホジュンに接していました.その彼が医術を学び,力をつけて父親のユ医師の信頼を得ることは決して好ましいことではありませんでした.

 しかし,必死に医術を学び,身体を張ってユ医師に接する姿勢がユ医師の信頼を厚くしていきました.この成長は,医師としての自立の問題に必然的に接近していきました.この問題は,先輩としてのドジについても同じことで,それが同時期となったことで,このドラマは非常に面白い展開を示しました.

 その自立のための関門の一つが,科挙の試験の合格でした.結果的に,この試験においてはドジの方が先に合格しますが,もう一つの重要な医師としての「こころ」の自立では,ホジュンが先に究め,ドジは最後の最後で,ホジュンに命を助けられるまで,それを実現することができませんでした.

 これは,intuition(ひらめき)の相異ともいえ,両者においては,それが大きく異なっていきました.博学,すなわち,医術の知識においては,一時期はドジが勝ることもあり,それでホジュンが遅れをとることもありました.

 しかし,その博学も,ヒトの命を救うという決定的問題に直面すると,ほとんど,それは役に立たず,かえって自信のなさをさらけ出すことになってしまいました.

 同じ事態に直面しても,さらには,ドジが自らの誤りを隠すために,ホジュンにたらいまわしした案件においても,どうしたらよいかに関するintuitionにおいてまったく異なる内容を示すことになりました.

 これは「実践力の差」ともいうべきもので,現代の問題に照らせば「学問力」,「技術力」の差ともいえるでしょう.いくら実験室や小さなプラントの中でよい成果を得ても,実際の現場では,それを十分に役立たせることができない,あるいは,ドジのように,別の問題にすり替えて,問題を回避しようとする,そのような「ずる賢さ」が働きがちになります.

 これでは,本当の実践力に裏打ちされた「intuition」が生まれてこないのです. 先日,徳山高専の学生を前にして,長岡技術科学大学長の新原学長が,黒板に1枚の図を描きました.横軸は時間,縦軸は,研究成果を示すものでした.

 この図に,1本の上昇直線を描きました.また,その線のはるか上に,ひとつの点を加えました.その説明によれば,その右上がりの直線は「博学」による成果だと説明され,その知識が身に着くほど,成果は直線的に増加するといい,そして,上の点を指さしながら,次のように仰られました.

 「しかし,その博学では,ここの点に至ることはけっしてありません.この点に至る飛躍を与えるのがintuitionです.ですから,invention,innovationよりも,このintuitionが一番大切なのです」

 ホジュンは,この飛躍をもたらす「intuition(ひらめき)」を生み出す能力に優れていました.いったい,彼はその能力をいかにして身につけていったのでしょうか.気になる問題です.             (つづく

J0436325