先日の山口県周南市立大河内小学校6年生における,出前「防災授業」の感想文が送られてきました.校長と担任の先生の丁寧な礼状が添えられていました.

 やはり,担当の先生方の資質によるものでしょうか,生徒ひとりひとりにきちんと感想文を書かせて,送付するという教育的配慮の行きとどいた先生は珍しく,このようなうれしい便りをいただくことは,どちらかといえば珍しいことです.

 その感想文を丁寧に読ませていただきました.美しい字で丁寧に,そしてよく考えて書かれていますので,それを読む度に心を動かされました.

 何が生徒のみなさんの心を捉えたのか,そして,彼ら,彼女らの心に入りこむ授業ができたのかどうかが,この感想文から直接判読できますので,大変興味深い教育データをいただくことにになりました.

 さて,この感想文は,私たち(徳山高専渡邊勝利教授と私)が行った防災教育と体験的実験のそれぞれについて言及されていましたが,それを読み進めるうちに,ある共通の用語が使われていることに気づきました.

 それらは,「びっくりした」,「おどろいた」,「すごかった」の3つでした.そして,このようなキーワードを用いて,22人が22人とも異なる角度から,その感想を述べていました.

 ここには,驚(おどろ)きや吃驚(びっくり)を伴う感動が彼らの心を捉え,脳裏にしっかり刻まれていたことが示されています.

 そこで,Y.Oさんの感想文を以下に示させていただきます.

 徳山高専 大成先生,渡辺先生へ

 「先日は,本当にありがとうございました.水害のおそろしさがよく分かりました.ゲリラ豪雨や,鉄砲水の事もよく分かりました.

 水害にあった時は,『逃げる』事が一番たいせつなんだなと思いました.実験もとても勉強になりました.

 7月の終わりごろにほうふ市でおこった土石流の事がよくわかりました.大きな風船のような物の上に,大人が6人ぐらいのれると聞いて,びっくりしました.

 空気の力は,すごく強いんだなと思いました.一番最後に,水そうの中の板をおす実験は.私はやらなかったけれど,水の力でいたが動きにくかったので,びっくりしました.ありがとうございました.

 とてもいい勉強になりました」

 まことにすばらしい文章で,その体験的学習の成果が綴られています.やはり,「びっくりさせ,びっくりする」ことが大切なのですね.

 これが,彼らの,彼女らの将来形成に影響を与え,「びっくり」する心が,立派な芸術家や科学者,技術者になることに寄与するのですね.

 しかし,一方で,大人になるにしたがって,この心を忘れてしまう方も少なくありません.「無気力,無関心,無感動」という用語が流行ったこともありました.

 成長するにつれて,どこかで,それを忘れてしまうのですね.

 そうなると,大人になってもなお,「吃驚して感動」できる精神を養い続けることが肝要といえます.また,それを体験的に味わうことができる実践がとても重要になります.

 幸いなことに,マイクロバブルにおいては,その実践が数多く出現してきます.

 「わかりました」,「びっくりしました」がいつも連続しておこり,その次に,あらたに「わかっていないこと」が明らかになり,そして予想外のことが起こり,また「びっくり」するのです.

 その意味で,マイクロバブルは,「吃驚の宝庫」ともいえます.あの生徒たちが,いつか,この「宝庫」に出会えるとよいですね.

 「大人になっても吃驚,それがマイクロバブル」です.マイクロバブルは単純ではありません.それゆえ,100年,1000年と続き,みなさまの生活と心の中に生き続けるものです.

 その意味で,間違いなく本物の物質であるといえます.どうか,みなさまも,それに接し続けて「吃驚」してください.それが若さとみずみずしい心を持ち続ける秘訣のひとつです.

 その際,その吃驚がない「マイクロバブル」は,「どうも怪しい」,「にせもの」であると疑ってください.時として,そのような類のものも少なくありませんので,どうか,それにだまされないようにしてください.

 これまでの経験で言いますと,それに引っかかるのは,「吃驚しない」,「感動しない」大人である確率が高いようです.

 どうか,次のことをよろしくお願いいたします.

 「吃驚しなくなったら要注意,吃驚は本物であることの証です!」

 「大人たちよ,吃驚する心を取り戻せ!」

 
J0354671

 

本日は,元気をなくしている大人たちのために,次の歌を届けます.

01 島唄(CD「沖縄平和の花」より)