ここは,神の亀が住んでいるという湖の畔である.暑い盛りの夏の午後になると,三々五々,この街の市民が大勢涼を求めて,ここにやってくる.

 もう長期にわたって,外国旅行に出かけることはないと思っていた.なぜなら,外国にはマイクロバブルがなく,それなしでは,2,3日も過ごせなくなっていたからである.

 しかし,国内に限っては,少しずつ,その事情が変わっていた.山口県の俵山温泉や長野県阿智村の昼神温泉にマイクロバブルが導入され,保養や旅先での立ち寄りのために,マイクロバブル温泉を楽しむことができるようになったからであった.

 それでも,他の旅先ではマイクロバブルがないと,どうも体調改善がなされないので,とうとう,自分で旅先でも使用できる携帯用を開発し,それをいつも持参するようになった.

 そして,それが大衆的にも広く普及しはじめたのは2010年春あたりであったろうか.

 この旅先での必要性を痛感したのは,それよりも以前にT市を旅行したときであった.

 いろいろな疲労が蓄積されていた.ホテルで,朝目覚めると,足中に湿疹ができていた.これはいったいどうしたのであろうかと思ったが,こればっかりはどうしようもなく,その足の痒さをひたすら我慢するしかなかった.

 「これは,やばい! 年を重ねると何が起こるかわからない」と思った.

 このときほど,携帯用マイクロバブル装置を持参できなかったことを後悔したことはなかった.

 おかげで,我が家に帰りついたときは,いやというほど,その患部にマイクロバブルを当てて,その復讐を遂げることができた.

 それゆえ,この携帯用ができるまでは,外国旅行にいくことは,ましてや,やや長期の滞在などは,もう無理であろうと諦めていた.

 ところが,旅先で,携帯用マイクロバブル装置を愛用し始め,体力の改善が旅先で可能になってきてから,この「諦め」がぐらつきだした.

 ヒトは,時と場合によって,自らの意志をどこまでも弱めることができる動物である.その携帯用装置が旅の必須装置として定着してしまうと,自ら諦めていた一線を何なく超えることができた.

 かつて,ドイツ,アメリカと世界を一周したときの旅心も蘇ってきた.そして,今は,はるか南の国の湖の畔にたたずんでいるのである.

 「あれから,もう,何年経ったのであろうか?」

 すぐには過去の時間を遡れないほどに,時間を経過していた.そう思いながら湖面を見渡すと,辺り一面に,白いハスの花が咲いていた.

 ハスといえば,この国では,その胚芽をお茶にして飲んでいる.独特の苦さを持つお茶であるが,それに慣れると通にはやめられないらしい.

 昔は,そのハスの朝露を集めてお茶を飲み,顔を洗う王族もいたそうである(植松黎著,『自然は緑の薬箱』より).

 この国は,古くからハスと親しむ生活文化を持っているらしい.日本では,その根として育った蓮根を食べるだけの習慣になってしまっているが,この国は違う.それはなぜであろうか.

 ふと,眼前のハスに見惚れて,そんなことに思いを巡らしていると,辺りは暑い夏の昼下がりから夕方に向かっていた.

 涼を求めて,湖畔に集う人々の数は,さらに増えていた.そして,湖面を渡る風が吹いてきて,長い夏の夜が始まろうとしていた(つづく).

J0403769 

今夜は,「サマータイム」の曲をお楽しみください.

11 サマータイム(CD「沖縄平和の花」より)