今日も夕方になって,あの湖畔にやってきた.夕闇の中でハスの白い花が浮き上がり,その香りが風に乗ってくるので,そこには何ともいえない風情が醸し出されていた.

 「あの巨大な亀たちは,どうしているのであろうか?」

 思えば,この国との付き合いは,この神と崇められていた亀の救命作戦から始まった.

 なにせ,数百年の寿命を持ち,戦争を終わらせたという伝説までも持つ亀であるから,それが水面に浮きあがってアップアップし,喘いでいる様を見ることは考えられない,そして耐えられないことであった.

 しかし,何とかしようと思っても,その亀救命作戦はなかなか成功しなかった.有効な手だてがなく,亀たちはますます弱くなり,市民はおろか国中の人々が,その亀の行く末を案じた.

 なぜ,亀がこのような窮地に追い込まれるようになってしまったのか.

 これは,当然のことながら湖の汚れに起因していた.日本でも類似した現象がいくつも起き,いまだに,その深刻な状況から脱出できていないままである.

 島根・鳥取県にある中海・宍道湖は,日本を代表する汽水湖(淡水と海水が同時に存在する湖)であるが,それゆえに,すぐに深刻な事態が続くことになった.

 鳥取県側の中海では,かつて年間が55億円もあった赤貝の売上額が皆無になって久しい状態が続いている.それは下層の海水の溶存酸素がほぼゼロになり,ここでは何も生物が住めなくなっているからであった.

 島根県の宍道湖では,この中海の死滅化とともに,長い間,ヤマトシジミの危機的状況が伝えられてきたが,21世紀初頭になって,産卵したシジミの幼生がうまく育たなくなってしまった.

 シジミ漁師は,その生活源であるシジミの収穫制限がなされ,それが年々減少した.毎日,収穫するシジミが小さくなり,しかも,その量が減ってしまうことは,シジミ漁師にとっては耐えられないことであった.

 三重県の英虞湾では,真珠養殖の不振が長く続き,真珠養殖業者の数も年々減少した.この不振は,他の海域や淡水域でも同じで,水環境の改善は遅々として進まなかった.

 この国では,戦後多数のダム貯水池が建設されたが,このダムの下層において,その水が無酸素化して,そこに重金属イオンが溶けだすという困った問題が出現するようになり,それが看過できないようになっていた.

 この汚れは,ダム貯水池の上層における植物プランクトンの大量発生とも関係しており,水をまずくし,臭気を発生させたことから,水道水はますます飲まれないようになり,代わりに,ペットボトルでの飲用が爆発的に進行した.

 もう10数年前のことであるが,小さな都市における浄水場池の水質浄化に取り組んだことが,その後の「亀救出作戦」に役立った.

 この浄水場池をきれいにするための基本シナリオは,マイクロバブルで浄水場池の底に自生する水生植物を大量繁茂させ,その植物の浄化能力を格段に高めることにあった.当然のことながら,マイクロバブルで溶存酸素濃度を改善することも重要であった.

 この実験を行っていた池の底を覗き込み,マイクロバブルで見事に繁茂したオオカナダモほかの水生植物を楽しく観察したことがあるが,そこでは,水生植物のなかにおびただしい小魚が生息していた.

 この状況を何とか亀のために再現することができないか,この水環境を蘇生させるイメージを強く持つことを大切にすることにした.

 もちろん,亀がマイクロバブル水を好むであろうとも推測した.これでは,岐阜の近くにある淡水自然博物館におけるチョウザメの事例からヒントを得た.

 ここでは,マイクロバブルを与える前は,1か所にチョウザメたちが集まって動こうとしなかったにもかかわらず,その供給の後には,チョウザメたちが,その池中をゆっくりと雄大に泳ぐようになった.

 これは,マイクロバブルによってチョウザメたちが明らかに元気を得た証拠であった.

 最初は,亀たちが,マイクロバブル発生装置の傍に集まってきた.これも,魚たちが,先に,その装置の周りに集まってくる現象とよく似ていた.

 こうして,弱っていた亀たちが,マイクロバブルによって元気を取り戻していったのである.それは,単に水質浄化のみならず,亀自身の生理活性においても重要な影響を与えていたはずであった.

 そのことは,当事者である「亀のみぞ知る」であるが,人々は,見違えるように泳ぐようになった亀の雄姿を見て理解した.

 こうして黄金色の亀たちは,何千年,何万年と行き続いてきた安心立命の生活にもどっていった.

 今では,かつて,その亀救命作戦が展開されたことは過去のものとなっていたが,この亀に思いを馳せてみた.

 「あの亀たちは,どうしているのであろうか?」

 湖面からは,ハスの香りを乗せた,いつもの「ここちよい」風が,先ほどから,どこからともなく吹いてきていた.ここに集う人々のにぎやかさは,かつてのそれと同じであり,何も変わっていなかった(つづく).

ハス