本日は、700回記念です。まずは、先日の「技術相談」の続編から書き始めることにしましょう。

 先日の訪問者の方々のご関心の第一は、「ナノバブル」にありました。今や、「ナノテクノロジー」の時代ですので、気泡もナノサイズのものがあるとなると、みなさん、そのことに、ことさら興味を持たれるようです。

 しかし、ここには、根深い本質問題がありますので、まずは、そのことから検討することにしましょう。

 「日本人は、明治以来、新たなことを『科学』として理解するのではなく、『イデオロギー』として受け留めてしまう傾向がある」

 こういったのは岡田節人先生ですが、この名言が「マイクロバブル」にも見事に適合します。

 もともと、わが国で発生した「ナノバブル」とは、「マイクロバブル」に対抗して出てきたもので、それ自身が、科学的とはいえない、あるいは、いえたとしても非常に底の浅いものでしたので、その発生そのもが「イデオロギー」的であり、換言すれば、「恣意的」要素を大いに含むものでした。

 ですから、その用語法の珍しさが先行し、一方では科学的に何ら説得力のない広まり方をした、ここに本質的な特徴がありました。

 おそらく、それを流布した側も、流布された側にも、過度な期待が込められていたのでしょう、「ナノバブル」論者には、その勢いに乗ることに懸命になっているような「焦り」を感じていましたが、やはり、案の上、時が経つにつれて、その嵐や騒動は治まってきました

 そのことが、事実として誰の目の前にも明らかになってきていますので、そのことに頬かむりをするか、あるいは忘れたふりをするかしかないのです。

 同時に、「ナノバブル」論者も、マイクロバブルへの回帰に向かわざるをえないようになりました。 

 その「ナノバブル騒動」の頃には、私のことを間接的に批判したかったのだと思いますが、「まだ、マイクロバブルのことをやっているのですか?いまや、ナノバブルの時代ですよ!」、こう聞かされたといってくる方がいました。

 「そういったあなたが、いまなぜ、マイクロバブルに拘るのですか。ナノバブルで天下を取った勢いでしたので、それに拘ることに、あなたに特色があったのではないですか?」

 こう反論させていただくと、おそらく、またしても、その方は右往左往することになるのではないかと思います。 

 この「ナノバブル騒動」に関連して、出てきたもう一つの論調は、「高濃度、中濃度、低濃度」という分類法でした。

 この分類は、ナノバブルについてなされたのではなく、なぜか「マイクロバブル」に関してなされたものでした。

 しかも、その分類論者は、「今や、ナノバブルの時代である」といい、マイクロバブルは過去の遅れた知識であるとも盛んにいわれていたのですから、いったいどうなっているんかと思っていました。

 先日も、この分類法を信じている巷の方が、私に、その識別法を説いていましたので、このようなレベルの知識は意外と流布されやすいのだということを知りました。

 私が、次のように反論すると、その方は黙ってしまいましたが、ここにも、イデオロギーとして捉らえられている典型を垣間見ることができました。

 「おそらく、それは加圧溶解式と超高速旋回式や液体の種類等をごっちゃにした考えから出てきており、高濃度方のタイプがよく、低濃度はダメというレッテルを張りたかったのだと思います。 

 そこには、その濃度差が何に役立つかの理由が述べられていませんので、その意味ではお粗末な分類法といえます」 

 さらに、こう続けました。

 「私の開発した発生法(超高速旋回式)を意識して、それを低濃度マイクロバブル発生法といったように聞いていますが、それで、高濃度発生法を持ちあげようとしたという意図が、そのまま見えてきたようですね」

 おまけに、いまだに、この論者の一部には、ナノバブルの典型として白い泡を性懲りもなく提示することがあるようですが、「ナノバブルは透明」であり、何も見えないことを特徴としていますので、それを踏まえると、高濃度、低濃度をどうやって見分けるのでしょうか?

 どうか、このようなトリックにひっからないように、マイクロバブルについての正しい理解をよろしくお願いいたします.

 こう説明すると、この訪問者は、「なるほど、そうか。わざわざ、創始者のところに来て説明を受けてよかった」といい始めました。

 そこで、マイクロバブルとナノバブルの関係を次のように説明させていただきました。

 超高速旋回式マイクロバブル発生装置で発生したマイクロバブルのほとんどは、その発生直後から収縮していきます。発生したマイクロバブルが、自動的に、ますます小さくなっていくのです。

 発生時のマイクロバブルの平均サイズは、20~30μmですから、100分の2~3mmという非常に小さいサイズのものばかりです。これらが、さらに収縮して小さくなり、やがてナノサイズの気泡へと変化していくのです。

 このマイクロサイズからナノサイズへと変化していく気泡のことを「マイクロナノバブル」と読んでいます。なぜ、そのように特別のいい方をするかというと、それには、次のような理由があるからです。

 ①20~30μm程度のマイクロサイズの気泡と比較して、その収縮速度が非常に大きくなる。

 ②この収縮速度の変化に伴って、負電位や自発光特性が異なる。

 この②の特性については、ナノバブル論者が最も期待が寄せられた特性でした。かれらは、次のように期待したのですが、それはもろくも「期待外れ」に終わりました。

 自然の法則は、期待や願望によって変えることはできないのであって、私たちは、それに従うのみであり、どこまでも謙虚でありつつづけなければならないのです。

 なぜなら、それに逆らうと、すぐにしっぺ返しを食うことになり、さらにはそれが自らを滅ぼす可能性させ、生まれてくるようになります。そのことは、歴史を少しひもとくだけで、すぐに、そのような事例に出くわすことができます。

 さて、私の結論は、やはり、物理化学的には、マイクロバブルが重要で、それと比較してナノバブルが、それと同等の重要性を持っていないのではないかという見解にあります。

 これはナノバブルの存在を認めないという一面的な見解に陥っていることではありません。ナノバブルの効果を主張するのであれば、その存在をきちんとした方法で検証するとともに、その機能性に関する明確な特性を明らかにする必要があるということです。

 また、ナノバブルの機能性がマイクロバブルよりも優れている、あるいは、それとは異なる特性を有しているというのであれば、それも含めて明らかにする必要があるといえます(つづく)。

 

J0407210