昨日は、第32期生の卒業式がありました。途中、式場で咳が止まらなくなり、退席させていただきました。その後、学科ごとの集まりがあり、そこで教員が卒業生と保護者に「贈る言葉」を一人一人いうという恒例の場がありました。

 今回は、座る場所のせいで、教員の最後に、それを述べることになりました。以下は、その概要です。

 卒業おめでとうございます。古い映画ですが、最近、とても印象深く感じたアメリカの映画に、「心の旅路」というものがありました。

 「心に残る」、「心で触れ合う」、このようなことがとても重要なことだと常日頃から思っていますが、卒業生のみなさんとも、その重要な「心の触れ合い」がありました。

 本日は、その3つを述べさせていただいて、はなむけの言葉とさせていただきます。

 その最初は、「木村拓也」さんの話です。こういうと、会場の多くがキョトンとした顔になりました。俳優の木村拓也さんは、非常に目がきれいで、「武士の一分」の映画を作られた山田洋次監督が、その目の美しさを指摘されていました。

 実際の最後決闘シーンでは、赤色の着色液を目に入れて、その充血ぶりを表現しようとさえしました。目が見えないキムタクに、「赤い目」で勝負をさせたのです。

 このキムタクの美しい目に似た学生がいました。名前も「拓也」と同じなので、いつしか彼のことを「キムタク」と呼ぶようになりました。そう呼ぶと、周りも本人も喜んで、さらに美しい目を輝かせていました。

 今から3年前、彼らが3年生のときに、ある授業を行いました。その冒頭に、私の授業の目標は、みなさんの「心に火をつけることです」といいました。

 「みなさん、『心に火をつける』こととは、どのようなことかわかりますか?」

 こういうと、みな首をかしげていました。

 「これから、それを教えていきますので、みなさんも考えてください。今日は、早速、そのためのヒントを教えますので、よろしくお願いします」

 こういって、誰にしようかと学生を見渡しましたが、そこに目の美しい、丸坊主頭の「タクヤ」君がいました。

 その彼に、前に出てきていただいて、こういいました。

 「この教卓の上に立って、みんなを見てください!」

 こういうと、本人も学生たちも驚きました。なにせ、一度たりとも教卓の上に立ったことなどない学生たちですから、教室は一気に盛り上がりました。

 タクヤ君も意を決したようで、すぐに教卓の上に登り、すっと立ち上がりました。さすが、野球部の学生だけに、身のこなしは軽やかでした。

 「タクヤ君、何が見えますか?いつも見ている景色と違いますよね」

 「違います。いつもとまったく見えるものが違います」

 こういうと、教室のみんながどっと笑いました。そしてタクヤ君に自分の席にもどっていただいて、こういいました。

 「みなさんの『心に火をつける』ことは、じつは大変なことです。このタクヤ君のように、今までとは違った目線で見るようにしないと、それはわからない、実感できないことかもしれません。これまでとは違う見かたををする。そのことの意味をよく考えてみてください」

 こうして最初のイベントが終わったのですが、それ以来、タクヤ君は、「心に火をつける」学生の代表、代名詞、シンボルになっていきました。

 「タクヤ君、あなたの心に火がつきましたか?」

 ときどき、授業の合間に、こういうと、必ず、周りから笑いが生まれました。タクヤ君を通じて、「心に火をつける」という命題が、彼らの脳の中で印象づけられ、常にそれを引っ張り出すことができるようになりました。

 こうして3年間、タクヤ君の目の輝きが決して曇ることはありませんでした。これからも、その目の輝きを忘れずに、心に火をつけ続けてほしいと願って、そのことに言及させていただきました。

 当人の学生たちは、そのことをよく理解した表情を示していました。

 しかし、周囲の教員や保護者のみなさんは、何をいっているのかほとんどわからなかったようでした。

 また、当の本人のタクヤ君は、いきなり、晴れ舞台の席で、彼の目の耀きの話になったので、すこし恥ずかしそうで、はにかんでいました。

 「心に火をつける」、これはイギリスの著名な教育学者の言葉でした。

 2つ目は、ある女子学生のことでした(つづく)。

J0410623