昨日は,夜遅くまで,学生たちの学会原稿の仕上げ作業を手伝っていました.さすがに集中して仕事をしたせいか,かなりの疲労が蓄積してしまいました.
こういうときは,マイクロバブル入浴によって,そのストレス解消を行うのがよいのですが,それは,年を取ってきたせいでしょうか,それを簡単に除去することができず,実際には,マイクロバブル入浴の回数を増やして,徐々に回復していくしかありません.
まずは,その1回目,全身にたまったけだるさ,そして身体が固くなったことをほぐすことから始まります.局部的には,疲れ特有の「うずき」,あるいは「たまり」といいましょうか,これが解消されて楽になることが重要なのですが,これがなかなか回復しません.
世間では,この部分をマッサージして,それを解消していくのですが,わたしの場合,それがひどい時には1時間ほどマッサージを受けてもなかなか解消できません.
それで,2回目の入浴を行います.大概は,この入浴で,マイナスからプラスに転じたといいましょうか,「疲れが取れた」という実感がわいてきますが,本日もそのような感じでした.
しかし,それでも,わずかなプラスへの変換が起きたに過ぎず,じっとしていると眠くなって,昼まであってもぐっすりと寝てしまいます.寝不足に対抗して「寝だめ」を行い,そのストレス解消方法にするのです.
こうして,徐々に正常化に向かうのですが,今回も,それにほぼ一日を要してしまいました.
しかし,身体は棒のようになって疲れていても,頭のほうは,まま動きますので,こんな時には,瑣末なネガティブ事項を考えるのをできるだけ止めて,前向きのことを考えることにしています.
人生とは,じつに不思議なもので,最近では,考えられないほどの瑣末な事が起きても,それを上回ることが,常に起こります.
その瑣末事は,所詮取るに足らないことですから,その時だけで過ぎ去っていきます.ところが,それを上回る出来事は,常に質的に高次ですので,後に残っていきます.
良いことで後に残るとは,ほとんどの場合,本質的といえます.どうやら,数日前に起き続けた「よいこと」のなかには,そのような本質的なことがあったようです.
その認識は,「ひらめき」や「直観的洞察」に近いものですが,それが本物かどうかは,それからの勉強に依存します.素晴らしければ素晴らしいほど,最初の発見時には,その全体像が見えず,その一部が「チラリ」と見えてくるだけなのです.
このチラリ現象を何回か体験しますと,それが本物かどうかの洞察もできるようになるのですが,このときがわくわくして面白いのです.
これが本物であるかどうか,それを調べる勉強が始まりますが,この勉強もじつに楽しいものです.「もしかして」,「もしや.もしや」の連続ですから,わくわくし,時には,そうでもないかと落胆もしますので,スリルがあり,面白いのです.
こんなことを考えながら,3回目のマイクロバブル風呂に入り,居眠りをしていました.マイクロバブル入浴の「ここちよさ」と「ひらめき」の面白さ,何か共通するところがありますね.
しかし,あまり考えすぎるといけません.そのうち睡魔のほうが勝ってきて,思考停止になってしまうからです.もっとも,それは,「身体を癒せ」というシグナルかもしれませんので,その方が自然の摂理に合っているのかもしれませんね.
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