⑥まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに

 「まじめに」とは、本気で、真剣に取り組むことを意味します。そして、「ゆかい」とは、「楽しく気持ちがよい」こと、「こころが浮き立つ」ことをいい表わすとされています。

 となると、「まじめなことをゆかいに」とは、本気で真剣になって、「ここちよい」こと、「心浮き立つ」ことに取り組み、そのような成果を出すこととなります。

 そして、「ゆかいなことはあくまでゆかいに」とは、心浮き立つことは、徹底的に遂行しようという意味のようです。

 要約すれば、「真剣に、心浮き立つことを徹底的にやろう!」、これが、最後の到達点のようですね。

 そこで、この到達点を、マイクロバブルの実際に則して考えてみることにしましょう。

 マイクロバブルの研究と技術開発を本気で真剣に遂行する、これは、とても大切なことです。身体を張って取り組むにふさわしい相手、それがマイクロバブルであるといえます。

 また、真剣に粘り強く究明を試みない限り、その正体を露わにしていただけない、それがマイクロバブルであるともいえます。

 なぜなら、マイクロバブルとマイクロバブル水の正体の全体像がなかなか明らかにされない、そこにむずかしさがあります。また、それをどのようにしたら明らかになるのか、その方法論すらわからない場合もあります。

 しかし、これを粘り強く考え続けると、なんとなくぼやっとそのイメージが見えてくることもあります。そうすると「もしや、もしや」と思って、徐々に「心が踊り始めてくる」のです。

 こうなると、心躍る日々が続き、こうしてみよう、ああしてみようという考えが自然に明確になってきます。

 それでも、もしかしてと思っても、その通りにならないことも多々あります。

 その場合に、やり方を変えるか、装置そのものを考え直すか、そのいずれかを選択するようになります。後者の場合は、より根本的な見直しをするようになります。

 そして、成果が出てきたときに、それがマイクロバブルによる効果なのか、それとも他の要因なのか、この見極めが重要になります。

 その成果が重大であればある程、その実証方法が問題となります。さらに、それが専門分野が異なる成果であればあるほど、その確証を得ることに、さらなる知恵と工夫、そして忍耐が必要になります。

 総論は賛成でも、いざ各論になると、豹変して、まったく正反対になることもあり、時には、「確証を持ってこい」、「実績を示せ」といわれ続けます。

 マイクロバブルの場合は、その現場にいくと、それが要求される続けてきましたので、ずいぶんなれてきましたが、それでも未知の分野において、しかも重要な案件にぶっつかると、いろいろなことをいわれ、そのあまり、「ここは、ぐっと我慢して耐えろ」と自分に言い聞かせることもあります。

 そして、その後で、冷静になって、「そうか、やはり、実績が圧倒的に足らないから、そうなるのか」と考え直すこともあります。

 せっかくの「心浮き立つ」成果であっても、それは、「非常識」の域に留まっていて、それを「常識」に転化させるには、まだまだ時間がかかることを認識させられてしまうのです。

 しかし、その屈辱を乗り越え、一歩、また一歩と前進し始めると、それが再び、より確実に「心浮き立つ」ことに転化していくことになります。

 私の友人で、カメラマンのKさんが仰った印象深い発言を忘れることができません。かれは、両手を横に広げて、こういいました。

 「マイクロバブルは、こんなに広いんです。そこが普通の科学と違うのです」

 この広げた両手におけるそれぞれの部分で、少しずつ前進する様はじつに壮観であり、このようになることが真に心浮き立つことではないかと思っています。

 むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに。

 ますます、水が乾いた砂にしみ込むような名言ですね。


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