さて、卒業論文提出の日の朝に、私の研究室で悩んでいたY君は、どうなったのでしょうか?

 おそらく、徹夜をして考えたあげく、どうやら、彼は、卒業論文を提出できない、これでは、自動的に卒業ができないと思って落胆していたようでした。

 「Y君、どうしたの?」

 私の方は、とっくに論文ができあがっているものと思っていましたので、彼の様子がおかしいな、ぐらいにしか見えませんでした。

 「先生、実験を間違えていました。ここを、どのように考えたらよいか、一晩中考えましたが、どうしても書けないので、困っています」

 「そんなはずはない」と思いながら、詳しく聞くと、その理由をようやく理解することができました。

 前回、温度33℃で温泉水の血流実験を行ったことを述べましたが、じつは、その最後の実験として、もっとも重要な水素イオン濃度pH=9.7の場合が残っていました。

 このpH=9.7は、昼神温泉水の原水ですから、これが最も重要な実験になることは彼もよく認識していました。

 これとの比較のために、pH=7.5、8.5の実験もなされたのですから、肝心かなめのデータになるはずでした。

 ところが、彼は、その実験を、先の条件と同じく33℃で行うべきところを、実際には23℃で行ってしまっていたのでした。

 そして、いざ論文をまとめる最後の最後で、その大変な間違いに気付き、どうしようか、書けないと思案していたのでした。

 温泉水の温度を10℃も間違えるのですから、これはとても大変なことです。

 すでに、33℃の生ぬるいお湯の実験を先行して行っていたのですから、それを体感して、その次も、同じように生ぬるいお湯でやればよいとわかりそうなものです。

 しかし、ここが素人の学生のやることなので、ときどきこのようなアクシデントが起こってしまうのです。

 「23℃でやったなら、冷たかったでしょう。どうでした?」

 「はい、たしかに冷たいなと思いいました」

 こうまじめにいうY君でしたので、こちらも怒るに怒れず、その23℃での血流実験の結果を見せていただきました。

 「開けて吃驚!」とは、このことでしょうか。今度は、こちらが、たじろぐほどの驚きを覚えました。

 その結果には、23℃という冷水のなかにも関わらず、マイクロバブルを発生させる前の状態よりも約8倍の血流促進が実現されていたのでした。

 いつもの通り、学生が行った結果については、さまざまな誤りを含むことが多いので、まずは、その結果を疑って考える習性になっています。

 「これ、ほんとうかな? ほんとうに23℃で実験したの? 温度を計測し間違えたのでは?」

 「いや、それだけはありません。実験をしたときに、冷たいなと思いましたので、・・・・。」

 「さっき、いったことと違うじゃないか」、こう思いながらも、そんなことは気にせず、マイクロバブルを発生させる前の状態、つまり、冷たい温泉水に入れた時の血流の変化に注目しました。

 「たしかに、冷水で血管収縮が起こり、その時の血流量は徐々に減少している。これは、彼の証言通りの現象になっている。温度計測のデータを見せてください」

 出された結果から、23℃での実験がなされていたことに間違いはありませんでした。この疑いが晴れ、「そうであればどうしようか?」と、一瞬考え込みました。

 目の前には、不安そうな彼が立っていました。

 「Y君、この間違いは間違いでしょうがないので、それは、正直に書くしかありません。しかし、23℃であっても、マイクロバブル発生前との比較で約7.5倍もの血流促進が起きたという事実は重要です。

 これをこのまま、正直に論文に書いたらよいと思います」

 地獄の底に落ちかけていたY君が救われた瞬間でした。当然のことながら、彼の眼は再び輝きを取り戻し、残る時間において懸命に論文を書きなおし、無事締め切りまでに、それを提出することができました。

 「Y君は、論文はだせたけど、もう1年残って研究をした方が、君の成長にはよいのではないかと思うのだけど、どう?」

 こういうと、決まって、「いや、これで卒業します」と返事したY君でしたが、これで、一生忘れることができない思い出ができてしまいました。おそらく、彼も、同じような思い出になったのではないかと思います。

 今思えば、この間違い実験の結果は、23℃の冷泉水であっても、マイクロバブルをその中で発生させると十分な、いや、驚くほどの血流促進が起こり、その効果が抜群、「冷たいけど」、その効果によって「温かく」感じるということを示唆していて、貴重なものといえます。

 また、温泉水のpHが9.7と7.5、8.5の場合との違いは大きく、それらの血流促進量も約2倍も異なるものとなりました。この原因は、いろいろ考えられますが、その主因は、マイクロバブルを発生したときの負電位の大小にあると考えられます。

 すなわち、pHが高いと、それだけ、マイクロバブルの負電位が大きくなり、人体細胞に及ぼす効果も大きくなるといえます。

 それから、その後のことですが、その翌年には、現地での実験も行い、彼の間違いの穴埋めはなされましたので、彼も一安心ということになりました。

 先日の学会では、このエピソードも含めて報告をさせていただきましたが、その時の座長も寛大な方だったようで、学生の間違いがユニークな結果を見出したことに興味を示していただきました。

 「Y君、よかったですね」

 じつは、このエピソードは、はっちさんの「身体が芯まで温かくなった」ことの意味を、さらに深く考察するために必要なこととして、紹介させていただきましたので、次回は、その考察を進めることにします。


  J0434019