昨日のブログの続きです。本日(10月17日)まで、東京ビッグサイトで危機管理展が開催されています。

科学技術振興機構(JST)からの依頼を受け、これに参加しました。この参加では、ポスター展示、パンフレットの配布、そして、直に講演を行うという3つの方法でプレゼンテーションをさせていただきました。

まずは、そのポスターとパンフレットの中身をすこし紹介することにしましょう。

大船渡山からの撮影

これは、震災直後から約半年後に撮影された写真です。中央部に横に延びた水域が大船渡湾です。横に10㎞、縦に約1㎞、深さは平均で20mの細長くて浅い海域です。写真中央から下には中心市街地があったのですが、そのほとんどすべてが壊滅し、なくなっていました。

写真下部の白い建物が中学校で、ここにやっとも思いで逃れた方々にも、津波が押し寄せ、少なくない方々が亡くなられました。

また、この中学校の前の道路、写真の右から左に道路があり(左手の森や住居のすぐ上手にある)、ここで車が渋滞し、そこに津波が襲来して、車中で多くの方々が亡くなりました。

この全景を見渡せる場所がなく、やっとの思いで、この場所を探しました。ここは、お寺の境内に隣接した土地であり、このお寺の住職さんから、当時の津波が押し寄せてきた様子を詳しく聞きました。

津波は、この写真の右から左へ、合計で8回押し寄せてきたそうで、その様子はまるで黒い羊羹が動いているようだったとのことでした。

この大船渡湾の写真右端の近くで、私どものマイクロバブル実験が行われました。


大船渡湾入り口と模型

次は、早朝の大船渡湾入り口の写真です。

この一番狭いところに高さ45mの防波堤が設置されていましたが、これも破壊されて沈んでしまいました。その左手の写真奥にあった大船渡市の中心市街地を壊滅させたのでした。

津波は、その奥の海域から押し寄せ、手前の鉄塔の下の崖に衝突し、左に曲がって奥の方まで進み、その侵入と共に波高を増していきました。

同写真の右上に、大船渡湾の模型を示します。この模型に注目していただくと、右手の広いところが外海で、そこから左の湾内に津波が浸入して、左手奥にあった中心市街地に進んでいきました。

周知のように、湾が狭く、しかも縦長で浅かったことから、その高さは5~10mにもなり、コンクリートの家屋さえ破壊する凄まじいエネルギーを有していました(つづく)。