追悼・久松俊一先生(17) 『私たちの高専改革プラン』における第二提言を前記事において紹介しました。 それを再記しておきましょう。 「高専が地域に根ざしてさまざまな協力共同を行なうことは、単なる地域貢献に留まらず、やがてはそれが高専教育の充実・
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老いの覚悟と生き方(4850回記念)(26)奥の細道(12)
松島では一句も詠まなかった 松尾芭蕉は、松島を見物した後に、次の文章を遺しています。 「松島は扶桑第一の好風にして、凡そ洞庭・西湖を恥ぢず(中略)其の気色窅然(ようぜん)として、美人の顔を粧う」 このように、芭蕉は、松島が中国の洞庭湖や西湖に劣らない好景
微笑みの哲学(5100回記念)(3)
老いと微笑みの哲学(2) 懸案の論文(第四報)投稿を済ませたことで、やや心の余裕が出てきましたので、滞っていた本執筆に分け入ることにしました。 老いての久しぶりの高専を振り返っての論文執筆の開始、そして、それを持続し、第四報まで重ねてきたこと、それが未だ道
須らく雫の石を穿つ如く(11)第四編の執筆を終えて(1)
道半ばに到達か 昨夜夜遅く、懸案の論文の第四報の最終推敲を終え、無事、学会への投稿を済ませました。 前回の第三報の投稿日は、5月30日でした。 それから約1週間は休息していましたので、第四報の本格的な執筆は、実質約2週間だったようです。 徐々に執筆を重ねてい
徒然に光マイクロバブル(122)父の日に
父の日 二人の娘と親戚の叔母さん、そして家内からも、素敵な父の日のプレゼントが届きました。 例年になく、素敵な豪華版のプレゼントをいただき、嬉しながらも恐縮しています。 心が温まるとは、きっと、このような時のことをいうのでしょうね。 さて、そのプレゼント
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(34)久松俊一(16)
追悼・久松俊一先生(16) 前記事からの続きです。 いよいよ、この連載も終わりに近づいてきましたね。 想えば、この半年間、どういうわけか、高専に関する論文化の作業に没頭してきました。 お世話になった恩返し、あるいは、36年間の仕事の総まとめ、さらに
徒然に光マイクロバブル(121)第4報の山場を迎えて
第四報の山場を迎えて いつものことですが、論文などに取り組むと、頭を切り替えることができなくて、本記事の執筆が滞ってしまいます。 論文執筆には、かなりの集中力が必要になり、しかも、その執筆作業を続けていると、それが普通の頭になってしまいます。 それは、ど
スナップショット「凱風快晴」(30)青紫陽花
青紫陽花 久しぶりに、カメラを持って前庭を観察しました。 今はもう、紫陽花の季節になっていたのですね。 研究室に籠って仕事をしていると、ついつい季節を忘れてしまうことがあります。 木漏れ日を浴びた紫陽花に見惚れていました。 きっと雨を待っているのでしょう
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(33)久松俊一(15)
追悼・久松俊一先生(15) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の最後の節です(青字の部分)。 第二は,先生が学生から「ペリー先生」と呼ばれていたことでした.なぜ,そのように呼ばれていたのかを尋ねると,ペリーの黒船のことを1年間ずっ
須らく雫の石を穿つ如く(10)第三篇までの執筆を終えて(2)
実践的技術教育の限界 高専は、創立以来、実践的技術者を育てることを教育目標としてかかげ、それが今日に至っています。 しかし、その62年間において、実践的技術教育に関して、本質的な発展はほとんどありませんでした。 そうなってしまった原因は、どこにあったのでし
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(32)久松俊一(14)
追悼・久松俊一先生(14) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の最後の節です(青字の部分)。 ようやく、ここまでたどり着くことができました。 じつは、この追悼文の執筆を日本高専学会のY会長から依頼されたおり、当初の800字という文書
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(25)奥の細道(11)
もう一つのカキの話題 本日は、広島と宮城のカキに関するもう一つの話を紹介しましょう。 日本における養殖カキの二大生産地は、広島と宮城です。 なぜ、このように別れたのか? ふしぎに思っていました。 昔から、広島のカキは大阪、宮城のカキは東京と、その主たる消
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(31)久松俊一(13)
追悼・久松俊一先生(13) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の続きです。 (3)論文審査委員会 先生には,副会長の後に,新設の論文審査委員会の責任者になっていただきました.この新設のきっかけは,学会誌編集に関わるトラブルが
私の光マイクロバブル入浴研究Ⅲ(84)
肩凝り(3) 前記事において、いつもよりも長く光マイクロバブル入浴を試してみようと記していましたので、それを実行しました。 そのために、入浴時間をいつもよりも2時間早くしました。 「2時間ぐらい入ったかな?」 「それぐらい、入っていましたよ」 家内とこのよ
創造性と技術をつなぐ(5200回記念)(1)
創造力の開発に関する研究 いつのまにか、本記事の執筆回数が5202回を終えていました。 「想えば遠くへ来たもんだ」という歌詞が浮かんできますが、この歌を作った武田鉄矢さんは、映画「幸せの黄色いハンカチ」に登場して、何度も山田洋次監督にやり直しをさせら
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(30)久松俊一(12)
追悼・久松俊一先生(12) 前記事からの続きです。 以下は、久松俊一先生の追悼文の該当部分の再記です。 第二は,日本高専学会としての活動の幅を広げていく課題でした.当時は,年1回の夏場の年会だけの開催だったことから,その半年後の冬場に連続シンポ
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(24)奥の細道(10)
奇跡のバージンオイスター 広島カキ養殖における1年物の若ガキ(無放卵カキ)の出現という、思いも寄らない現象に出会っていたことから、それを大船渡湾においても再現できるかどうか、すなわち、Mさんが熱望していたバージンオイスターの誕生が可能になるのかに注目してい
私の光マイクロバブル入浴研究Ⅲ(83)
肩凝り(2) 母親譲りの私の頑固な肩凝り、長年、これと付き合ってきました。 これによって、いつも母を偲ぶことはできても、それはあまり喜ぶことはできません。 今年になって、この積年の肩凝りをなんとか解消しようと一念発起して、その部分に光マイクロバブルを当て続
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(28)久松俊一(11)
追悼・久松俊一先生(11) 木更津の「かずさアカデミアホール」で開催された日本高専学会10周年記念の年会・講演会は、約1000名を超える参加者を得て、小さくない成功を修めることができました。 この成功は、私たちのとって初めての貴重な体験となり、学会全体の
老いの覚悟と生き方(4850回記念)(23)奥の細道(9)
鹽竃(しおがま) 芭蕉一行が、鹽竃(塩釜)に到着したのは、5月9日のことでした。 ここは、古くから多くの魚が水揚げされる漁港であり、とくに鮪は有名であり、2021年には、クロマグロとメバチマグロの水揚げ量は日本一を記録しています。 おそらく、芭蕉一行も、このマ
徒然に光マイクロバブル(121)最後の面会になるかもしれないれない
もう会えないかもしれない 昨日、福岡の棲む叔父叔母がわざわざ、わが家に面会に来てくださいました。 私が幼いころから大変お世話になった方々であり、とくに、その長男E君とは、長い付き合いをしてきましたので、いつのまにか親しい関係になって、それが未だに続いていま
須らく雫の石を穿つ如く(9)第三篇までの執筆を終えて(1)
この間を、振り返ってみよう! 一昨日、昨年末以来執筆してきた論文の第三報目の投稿を終えることができました。 ここで、その第四報の執筆準備をしながら、その第三報までを少し振り返ってみることにしました。 まず、最初の重要な課題は、高専創立以来の教育目標となっ
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(27)久松俊一(10)
追悼・久松俊一先生(10) おかげさまで、木更津の「かずさアカデミアホール」で開催された日本高専学会年会・講演会は小さくない成功を修めることができました。 その第一は、約1000名を超える参加者を得たことでした。 その多くは、ちびっこの夏休み工作やロボ
スナップショット「凱風快晴」(29)紫陽花
11年前に 約11年前に、国東市向陽台に初めて新築の家を設けて住むことになりました。 すぐに生垣を作る余裕がなくて、近くに咲いていた紫陽花を貰ってきて植えました。 これが年々育ち、ちょっとした紫陽花の生垣ができました。 薄紅色、青色窓の花が、小雨の中でほんの
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(26)久松俊一(9)
追悼・久松俊一先生(9) 1995年8月1日に,画期的な日本高専学会が創立されました. 改めて,これを準備された方々に深く感謝いたします. 私は,この年の8月31日に,留学先のアメリカ南カリフォルニア大学から帰国しました. その時,最初に感じたのは,狭い空間に小
徒然に光マイクロバブル(120)第三報(4)脱稿
仕上げ この3日間は、朝から夜までかかって、論文の仕上げをしていました。 そして昨日の夜遅く、その脱稿に至りました。 論文としての中身に関する山は越えているのですが、最後の練り上げによって、その見栄えがかなり違ってきます。 その意味で、結論の前の章における
ガイダンス(225)2023年5月
夏の初め 2003年も5カ月が過ぎようとしています。 時が経つのは速いもので、まさに光陰矢のごとくですね。 あることがきっかけになって、前職場において考えていたことをまとめる時期がやってきたのではないかと思うようになりました。 その一念発起をしたのが昨年末、以
徒然に光マイクロバブル(119)第三報(3)推敲(2)
ひねもす推敲 本日は,朝早くから夕方遅くまで執筆中の第三報の論文推敲を繰り返していました. 昨日の第一次推敲の残りの部分から開始したのですが,それを最初からやり直して,文章と文字の修正と確定を行っていきました. これが第二次の推敲でした. この草稿におい
創造的突出と自己革新(CASEⅠ:高専)(4550回記念)(25)久松俊一(8)
追悼・久松俊一先生(8) 前記事において紹介したように,木更津高専の西田校長の指向と同校一般科目の先生方の意向が同調し始め,その具体化として一般科目のカリキュラムについての自主的研究が進展していったことが非常に重要な出来事でした. この契機となったのが
徒然に光マイクロバブル(118)第三報(2)推敲
最初の推敲 昨年末から,前職場への最後の恩返しと思って,一連の論文執筆を続けてきました. その第一報と二報は,ほぼ2か月を要して投稿を済ませました. また,次の第三報の草稿をほぼ書き終え,その最初の推敲に入りました. いつものように,これを行ってから,結論