マイクロバブル博士の「マイクロバブル旅日記」

本「旅日記」で、マイクロバブルの科学と技術に関する難しい情報をやさしく解説し、深く考えることによってマイクロバブルの物語をよりおもしろくします。また、それをゆかいに展開させていきます。これが、あたかも燎原の火のように、それこそ国境を超えて、どこまでも広がり、国民生活と産業に深く分け入ることで、マイクロバブル社会が形成されることをめざします。

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更新情報

 新幹線の車中です.九州の小倉駅を過ぎて関門トンネルのなかを走っています. 本日は,急遽大牟田市に向かうことになりました.大牟田とえいば,草木饅頭と 鰻です.九州の鰻で有名なのは柳川ですが,ここでは「せいろ蒸し」をして鰻を食べ ます.「せいろ蒸し」と

 映画「博士が愛した数式」の主人公は寺尾聡さんが演じていました.作中の名前 がよく分かりませんので,ここでは「寺尾博士」と呼ばせていただきます. 以下,その寺尾博士宛の手紙です.  寺尾博士 殿 拝 啓 映画のシーンの一つにありました春風に桜が舞うこ

 昨日、大変嬉しい「知らせ」が届きました。暖かい風が吹いてきましたので、その 春風に乗せて、みなさまに、その朗報を届けさせていただきます。 昨年、8月19日のブログにおいて、山口県岩国市の村重酒造を訪問したことを書 かせていただきました。そのブログの

 神経解剖学者のジル博士は、数学者のお母さんの支援もあり、徐々に左脳の感 覚や機能を回復していきます。最初は、数字そのものが理解できない、そして言葉 そのものが発せられない状態でした。根気よく、数字の意味を教え、足し算、割り 算、掛け算と教え

 映画「博士が愛した数式」に出てくる「寺尾博士」と「ビュティフル・マインド」の 「ナッシュ博士」の両方に共通することは、数学の天才でありながら、ともに精神的 病に侵され、それが彼らの人生に重要な影響を与えたことです。そのため、彼らは 自分で生

 マイクロバブルが、この世に誕生したのは1995年ですので、それ以来、今年で14年が経過してきました。そのマイクロバブル発生装置の完成に至るまでに、10数年を有していますので、それらを合わせますと足かけ30年余の長きにわたる研究を続けてきたことになります。 「思え

 映画「博士が愛した数式」を観て、すぐに思い出したのが、映画「ビュティフル・マ インド」でした。これは「ゲームの理論」を考案したアメリカの数学者であるナッシュ さんに関する物語です。数学が好きな少年が数学を勉強するようになり、その学力 が認められて

  先日教え子のM君と会食したときに、「先生、ぜひこれを観てください」といわれて 渡されたDVDのひとつが、寺尾聡主演の「博士が愛した数式」という映画でした。 「この映画を観て、感動しました。涙を流しました。ぜひ、先生に観ていただきたい 映画です」 私は、

  先月末、K君が貸していたマイクロバブル風呂用装置を返しにやってきました。と ても表情がにこやかでした。これでお別れ、彼は京都の大学院に進学することに なっていますので、私としては彼に「贈る言葉」をいう立場にありました。  しかし、彼の表情が

 2月の終わりごろだったでしょうか。私の研究室の専攻科生のK君が、無事、修了 認定の発表会を終えて、その挨拶にやってきました。  「先生、いろいろありがとうございました。お世話になりました」  「そうだね。3年間、いろいろあったけど、最後に頑張ってよか

 31日、1日とマイクロバブル実験を行っています。この実験は、昨年から継続的に行ってきたものですが、気温が上昇して実験条件が整ってきたので、それを再開す ることになりました。この研究は、昨年、W先生の研究室から学生が「居候」で私の 研究室にやってきて

 28日の朝に、Kさんと久しぶりに面談しました。Kさんは、このブログに、「マイクロ バブル人K1さん」として登場された方です。彼は、プロ中のプロのカメラマンであ り、そのたたき上げの精かんな風貌には独特のものがあります。 その彼と久しぶりに会ったのが約2

 二日間にわたる講演会を終え、長岡から東京へ再び向かいました。出発は昼過ぎでしたので、いつものように、好物の「柿の種(大粒)」、「笹団子」、そして富山の「ます寿司」を買って新幹線に乗り込みました。ます寿司は、生産地に近いからでしょうか、東京や名古屋で買う

 2日間の講演会を通じて、最も印象に残ったのは、2つの特別講演と3つの学生 講演でした。前者においては、この十数年間で約50名の専攻科生を国際学会で発 表させた重松先生の教育研究業績、そして全国的に時代に同調しながら発展し始 めている高専の今日的状

 昨日は、長岡技術科学大学で第1回土木学会全国高専学術講演会が開催されま した。私は、それを主催した責任者として、冒頭に次のように挨拶させていただきま した。  最初に、第1回の学会開催に、ご支援とご協力いただいた長岡技術科学大学に 深く感謝申し上

 ホジュンは、さまざまな妨害や迫害を受けながらも、宮廷医官としての信頼を増し ていきます。その理由は、皇族の病気を治すというほぼ「絶対的に近い医術」を身 につけていたからです。  いかなる権力や策謀も医術の前には無力であり、皇族の病気を治し、健康に

 今朝の長岡は、昨日と雨模様とは異なって快晴ですが、少し小雪が舞っています。 昨日は、15時過ぎに上越新幹線に乗り、日本列島を横断しました。新潟に近づくと周りは雪景色となり、長岡に着くころには雨が降っていました。まだ、こちらでは春が遠い季節なのですね。 夜

 WBCでの二連覇、若い方が集中して競い合う姿は、とても美しく立派ですね。とくに、「イチロー」の「辛さ」、「苦しさ」が「痛み」に変わり、そして最後で「笑顔になれた」という、苦悩から喜びへ向かう「ブレイクスルー」の実体験には素晴らしい感動がありました。彼のなか

 昼前に竜野を離れ、姫路に向かいました。姫路駅に集結したメンバーは、ある県 の産業創造担当者、高専コーディネータ、元市長、ある大手商社農業イノベーショ ン担当者、それに私たち2名が加わった6名の集団でした。 この6名の行く先は、㈱APJのマイクロバブル

 夜は、赤とんぼ荘からのすばらしい夜景を堪能しました。鶏龍山、揖保川、竜野 市街が静かに佇んでいました。 翌朝は、昼までに姫路に行けばよかったので、竜野市内を散策することにしまし た。まずは、赤とんぼ荘から降りていくと、お年寄りのみなさんが幾人か

 私たちが泊まった宿舎は、鶏龍山がよく見える向い側の丘の上に建っている国 民宿舎「あかとんぼ荘」でした。ここの8階が私たちの部屋であり、この景色の素晴ら しさに思わず見惚れてしまいました。また、その大浴場からは、赤穂の方に向かって 滔々と流れる揖保川

 兵庫県竜野と姫路を訪れていました。竜野は、歴史の香りが残る静かな街で、駅前には「童謡のまち」という看板もありました。哲学者の三木清、そして「赤とんぼ」の作詞者で有名な三木露風という反戦哲学者・詩人の出身地でもあります。それから、映画「男はつらいよ・夕焼

  私は、1994年10月からドイツ航空宇宙件研究所の客員教授として在外研究留学 をしました。もうずいぶん昔の話になりました。わたくし事ですが、その直前に母が 亡くなり、慌ただしく、その49日を済ませて単身旅立ったことを思い出します。私の 留学先は、ドイツ中

 温泉水温度の設定問題に続いて、ミニバブルの話になりました。近頃は、温泉のどこにも、このミリサイズの気泡を出す装置が設置されていますが、この効用について、次の意見を述べさせていただきました。 ①ミリサイズの泡は負電位がほとんどなく、泡としての効果はほとん

 岡藤社長、中村支配人との懇談は、さらに盛り上がっていきました。このなかで、 先にも紹介させていただいた先代社長の話がよく出てきました。そのかれは、ホテ ル建設と運営が順調に行くようになると、今度は健康食材の開発に凝るようにな り、「トトロの

 油谷湾の素晴らしい眺望を目の前にして、岡藤社長、中村支配人と温泉談義を 楽しみました。 まず、楊貴館のことについて尋ねてみると、このホテルの成り立ちから説明してい ただきました。この創業には亡くなられた先代の社長さんが大変ご尽力されたそう

 長門市の通公民館を後にして、熊野先生とともに油谷町の楊貴館に向かいました。 車中には、先ほどの講演会の余韻が残っており、「みんなで誇れる青海島づくり」の課題や今後の方策について話が弾みました。 楊貴館は油谷湾の西側に位置し、そこをインターネットで調べる

 久しぶりにゆっくりした日曜日の朝です。昨日は、卒業式と謝恩会がありました。 この時期、何かと年度末で忙しいのですが、これでようやく一区切りとなります。 卒業式後の会合で、私は、次の3つの話題提供をして、はなむけの言葉とさせて いただきました。 ①今年

 春の嵐が吹き荒れる中、昨日は、山口県の長門市青海島の通公民館に行きまし た。徳山高専の熊野稔先生がコーディネートされている「みんなで誇れる青海島づ くりの会」からの依頼を受けて、講演をさせていただきました。  熊野先生と車中で事前の打ち合わせをし

 昨日は、山口県平生町で川に関する委員会がありました。洪水が起きたときに、どのように避難したらよいかを審議しました。もともと、平生町の中心部は過去に埋め」立てられた低い土地が多く、雨が降れば浸水被害が起こりやすいところでした。このことを考慮した大変画期的

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